石黒御住職 ご指導集

 石黒御住職からいつもご指導頂いておりますお話しの内容を毎月掲載致して参ります。

このご指導集は、我々の信心修行の基本中の基本をお教え頂いております。

皆様の血肉になりますよう、身口意の三業にわたって熟読し実践されますよう祈念致します。

 

土籠つちろう御書』には、

「法華経を余人のそうろうは、口ばかりことばばかりはめども心はまず、心はめども身にまず、色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ」(同 四八三頁)

と、身口意の三業相応して法華経を読み、色心共に大難にって、それを乗りえたときにこそ真の即身そくしんじょうぶつがあることを御教示されています。

 


令和6年12月 御指導


1.仏教の基本。   12月3日

 ①苦からの解放

 ②因果のニ法(理法)

  苦=四苦・八苦

  苦からの解放のため、朝夕の勤行しっかりやりましょう!

 

2.勤行唱題の重要性  12月4日

  皆様、おはようございます。

 今日もこうして共にお題目を唱え、仏法を学べることを感謝いたします。

 私たちが朝を迎えることができるのも、日蓮大聖人のお教えに支えられた命の尊さ、そして御本尊の力強い加護によるものです。

 

  朝は新しい一日の始まりであり、その一日がどのように過ごされるかが、私たちの信仰の深さに大きく影響を与えます。

 日蓮大聖人は「法華経を信じて、命を懸けて生きる」ことが最も大切だと教えられました。

 その教えに従い、私たちは日々の生活の中で信仰を実践し、心を清め、仏法を学び続けていく必要があります。

 

 1. 朝のお題目の重要性

  朝一番にお題目を唱えることは、私たちの一日を仏法に包まれたものとするために非常に重要です。

  お題目を唱えることで、仏の力を呼び覚まし、自分自身の心を清め、今日一日を前向きに過ごすためのエネルギーを得ることができます。

  このお題目が私たちの心と体にエネルギーを与え、どんな困難にも立ち向かう力を授けてくれるのです。

 

 2. 唱題と信仰の実践

  日々のお題目を唱えることは、ただの儀式ではなく、私たちの心を仏法で満たし、現実の生活に活かすための実践です。

  朝の段階で心を清め、仏法に接することで、日常生活での行動や言動が変わり、より良い結果を生むようになるのです。

  日蓮大聖人は「唱題の力は無限である」と説かれましたが、私たちがその力を信じて実践することで、無限の可能性を引き寄せることができま

  す。

 

 3. 困難を乗り越えるために

  一日の始まりには、多くの課題や問題が待ち受けています。

  しかし、どんな困難に直面しても、信仰を持ち続けることこそが、私たちに勇気と希望を与えてくれます。

  日蓮大聖人の教えに従い、法華経の力を信じ、どんな困難にも負けない強い心を育てていきましょう。

 

 4. 信仰の輪を広げる

  そして、朝の信仰の実践は、自分だけでなく周りの人々にも良い影響を与えます。

  私たちが心から信仰を深め、積極的にお題目を唱えることで、周囲の人々にもその力を分け与え、信仰の輪を広げていくことができるのです。

 

  信仰は一日にして成るものではありませんが、毎日の小さな実践が積み重なり、大きな力となります。

  今日も一日、お題目を唱えながら、日蓮大聖人の教えを深く胸に刻み、心を清め、精進していきましょう。

  それが私たちの信仰をさらに深め、より充実した生活を送る力になることを信じています。

  どうか、皆様が今日も一日、御本尊様のご加護を受け、仏法に基づいた正しい行いを重ねていけますようお祈り申し上げます。

 

 

3.執着を捨てることの大切さ  12月5日

 

 おはようございます。今日も、私たちの信仰を深め、日々の修行に励むことができることに感謝申し上げます。

 本日は「執着を捨てることの大切さ」についてお話しさせていただきます。

 

  私たちの生活の中で、物質的なものや感情的なものに執着してしまうことは少なくありません。

  欲望、怒り、恐れ、名誉や地位、そして金銭など、さまざまなものに対する執着が私たちの心を支配し、苦しみを生む原因となることがありま

  す。

  しかし、日蓮大聖人は「執着を捨てること」が仏道修行の本質であると教えておられます。

 

  仏教では、すべてのものは無常であり、永遠ではないと教えています。

  私たちが執着しているものも、結局は変化し、消えていくものです。

  これに対して執着を持ち続けることは、無駄な苦しみを招くだけでなく、仏道における成長を妨げる原因にもなります。

 

  日蓮大聖人は「法華経」を根本経典として、私たちに「南無妙法蓮華経」を唱えることを教えました。

  このお題目に込められた法力は、私たちを執着から解放し、心の中に平安をもたらします。

  お題目を唱え、信仰を深めることで、執着の心を断ち切り、真の自由と安らぎを得ることができるのです。

 

  また、執着を捨てることは他者との関係においても重要です。

  他人の欠点や、過去の出来事に執着し続けることで、心に余計な重荷を背負い、前に進むことができません。

  仏教の教えでは、「人を許し、愛し、心を清める」ことが大切だと説かれています。

 

  信仰の力を信じて、今日一日も執着を捨て、心を清らかにしていきましょう。

  そして、私たち一人ひとりが、日々の修行を通じて、仏果を得ることができるように、共に励んでいきたいと思います。

   南無妙法蓮華経

 

4.悟 り    12月6日

 

  私たち人間は、日々いろいろなことに迷い、悩みますよね。

 例えば、仕事のこと、人間関係のこと、将来の不安や健康の心配など、次から次へと悩みが尽きません。

 このように、迷いや苦しみの中にいる私たちを『衆生(しゅじょう)』と呼びます。

 

 一方で、『悟る』というのは、自分自身の迷いや苦しみを根本から解消し、物事の本質を正しく見つめる心の状態を指します。

 仏様とは、この悟りの境地に達した存在のことです。

 

 では、どうして私たちは迷ってしまうのでしょうか?  それは、自分の中にある『執着』や『無明(真実を知らない状態)』が原因です。

 日蓮大聖人の教えでは、この迷いを取り除くために、南無妙法蓮華経のお題目を唱えることが大切だと説かれています。

 

 お題目を唱えることで、自分の中の仏の心、つまり悟りの心が呼び覚まされます。

 そして、迷いや苦しみの中でも、自分自身の使命や生きる意味を見出す力を得ることができるのです。

 

 ですから、私たちは『迷うことが悪い』と否定するのではなく、迷いを通じて仏の道を歩むための一歩を踏み出すことが大事なのです。

 

 

5.勤行唱題   12月7日

 

 1. 勤行の基本的な意義

 

  朝夕の勤行とは、日蓮正宗の信徒が毎日行う法華経の方便品・寿量品読誦と題目の唱題を含む儀式であり、仏法に基づく日々の修行の一環で

  す。

  この勤行を通じて、信徒は自己の心を清め、仏法に対する深い理解と信仰を深めていきます。

 

 2. 勤行の功徳

 

  朝夕の勤行を行うことには、以下のようなさまざまな功徳があります:

       自身の成長と解脱 :  勤行を通じて仏法を学び、実践することによって、煩悩を減らし、自己の成長を促進します。

   日々の勤行は、心を浄化し、仏の智慧を得る手段となります。

       家庭や社会の安泰 :  勤行は、家庭や社会の中での平和や調和を生み出す力を持っています。信徒が勤行を積むことで、家庭や周囲の人々に

   幸せと平安をもたらすことができると教えられています。 

      悪業の消滅と福徳の増大 :  法華経の力を借りて、日々の勤行が功徳を生み出し、悪業を消滅させ、福徳を増大させると言われています。

   特に題目「南無妙法蓮華経」を唱えることにより、仏の加護を得ることができます。

 

 3. 勤行の心構え

       心を込めて行うこと :  勤行は単なる形式的な儀式ではなく、心を込めて行うことが重要です。

   真摯な気持ちで法華経を読み、題目を唱えることが、より大きな功徳を生むとされています。

       一日一善 :  朝夕の勤行を習慣として、毎日の生活の中で心を整え、仏法の教えを実践することが、人生における一善となります。

   これが積み重なることで、大きな功徳を得ることができます。 

     家庭での実践: 家庭内で信仰を実践することも大切です。

   朝夕の勤行を家族全員で行うことで、家庭全体が仏法の力で守られると信じられています。

 

 

6.因果応報  12月8日

 

  因果について。

  まず「因果応報」の法則を理解することが大切です。

  因果応報とは、行為には必ず結果が伴い、良い行為には良い結果が、悪い行為には悪い結果が生じるという仏教の基本的な法則です。

  この因果の理法は、私たちの一切の行動や言葉、思いに作用し、その結果として私たちの生死や運命が決まると教えられています。

 

  勤行・唱題の意義

 

  勤行(ごんぎょう)や唱題(しょうだい)、特に「南無妙法蓮華経」との題目を唱えることは、因果の理法に基づいて、私たちの心身を清らか

  にし、日々の生活を善い方向に導くための手段です。

  日蓮大聖人は、「題目をとなふることこそが仏法の根本であり、最も大切な修行である」と強調されました。

 

  御書の引用

 

  日蓮大聖人の御書には、勤行・唱題の重要性が数多く説かれています。

  例えば、『開目抄』の中で、大聖人は次のように仰っています。  

  南無妙法蓮華経とは、すべての経典の中で最も重要であり、すべての仏教修行の根本である。

  これを信じ、称えることによって、無量の功徳を得ることができるまた、『御義口伝』には、次のような記述もあります。

  『題目を唱えることによって、その人の心が清らかになり、過去の悪因縁を解消し、未来の善因縁を築くことができる。

  これは因果の理法にかなった最も大切な修行である」

 

  因果の理法に従った勤行・唱題

 

  因果の理法に基づけば、日々の勤行や唱題は、私たちが今まで積んできた業(ごう)を清め、未来の良い結果を生むための行為です。

  私たちの心が煩悩や苦しみに覆われているとき、題目を唱え続けることによって、その煩悩が消え、心が清められ、善い因果を生み出すことが

  できます。

 

  また、仏教の教えでは、積み重ねた行為がその人の運命を形成するため、毎日の勤行・唱題が持つ力は、単なる儀式ではなく、深遠な因果の法

  則に従った生き方を反映しています。

  これにより、どんな困難や試練があっても、心を強く保ち、真実の幸福を得る道が開かれるのです。

 

 結 論

 

 因果の理法を理解し、そのうえで勤行・唱題を行うことは、私たちが日々の生活において善い因を積み、悪い因を断ち切るために欠かせない修行

 です。日蓮大聖人が教えたように、「南無妙法蓮華経」の題目を唱えることは、最も強力で確実な方法であり、これにより私たちの生活をより良

 い方向へと導くことができるのです。

 

 信徒として、毎日の勤行・唱題を通じて、因果の理法に則った生き方を実践し、仏道を歩んでいくことが、最終的に仏果を得るための道であるこ

 とを自覚して生きることが大切です。

 

 

7.四苦八苦からの解放  12月9日

 

 日蓮正宗において、勤行は四苦八苦からの解放のために非常に重要な役割を果たします。

 四苦八苦とは、人間の生涯において避けがたい苦しみを指し、これには生老病死をはじめとする多くの苦しみが含まれます。

 日蓮正宗の信徒は、この苦しみから解放されるために、法華経の経文を勤行(お経を読むこと)として行うことが推奨されています。

 

 勤行を通じて、法華経の教えに基づく信仰を深め、心の安定と浄化を図ることができるとされています。

 特に、南無妙法蓮華経の題目を唱えることが中心的な修行とされており、これにより信徒は自身の内面を浄化し、仏の智慧と慈悲を得ることがで

 きると考えられています。

 勤行は日々の修行であり、これを積み重ねることで、四苦八苦から解放されるだけでなく、最終的には仏果を得て、苦しみを超えた安らかな境地

 に至ると信じられています。

 

 したがって、信徒にとって勤行は単なる日課ではなく、自己の成長と解放に向けた重要な修行であり、その意義を深く理解し、真摯に取り組むこ

 とが大切です。

 

 

8.御供養の重要性について  12月10日

 

 御供養の目的は、御本尊様に対する敬意と感謝を示し、仏道を歩むための助けをいただくために行うものです。

 

  1. 御供養は信仰の表れ

  御供養を行うこと自体が、仏様に対する信仰の現れであり、仏道を修行する者としての誠実な心を示す行為です。

  仏教では「供養」を行うことによって、仏様からの加護を得て、私たちの生活や修行が支えられるとされています。

 

 2. 御供養は日々の感謝を表す

  毎日の御供養は、仏様への感謝の気持ちを表す最も直接的な方法です。

  日々の生活の中で、仏様の御加護によって幸せや安穏を得ていることを忘れず、感謝の心を持つことが大切です。

  御供養を通じてその感謝を具体的に示すことが、信仰心を深めることに繋がります。

 

 3. 御供養の実践が仏教の教えを深める

  御供養は、仏教の教えを実践する一環です。

  供養を通じて仏様の教えに触れ、その真髄を理解し、日々の生活に生かすことが求められます。

  この実践によって、自己の成長と共に周囲の人々にも良い影響を与えることができます。

 

 4. 御本尊様との絆を深める御本尊様への供養は、仏様との深い絆を築く手段です。

  御本尊様は私たちを守り導いてくださる存在であり、その存在に感謝し、供養を通じてその絆をより深めることが、信仰の本質的な部分です。

 

 5. 供養の心を大切にする

  供養において重要なのは、形式や物質的な面だけではなく、その背後にある「心」です。

  心からの感謝と敬意を込めて供養を行うことが、最も大切であります。

 

  御供養を通じて、信徒一人一人が仏様への深い感謝と敬意を持ち、日々の修行を精進していくことが、仏道を歩む上での大切な一歩です。

 

 

9.仏に至る道について  12月11日

 

 日蓮正宗の信徒にとって、仏に安穏に至る道は、日々の修行と信仰に基づいた実践を通じて歩むものです。

 日蓮大聖人の教えでは、法華経を信じ、南無妙法蓮華経の題目を唱えることが中心となります。

 仏に至る道について、以下のような基本的な考え方があります。

 

 1. 題目の唱題

 

  日蓮正宗の信徒にとって、最も重要な実践は「南無妙法蓮華経」の題目を唱えることです。

  この題目は仏の智慧と力を引き出すものであり、信徒が仏の世界に接し、最終的に仏果に至るための直接的な方法とされています。

  題目を心を込めて唱えることで、自らの生命が浄化され、仏性を引き出すことができると教えられています。

 

 2. 法華経の理解と実践

 

  法華経は、日蓮正宗の根本経典です。

  法華経を深く理解し、経文の教えに従って生きることが仏に至る道の基盤となります。

  法華経の中で最も重要なのは「一切衆生悉有仏性」という教えで、すべての人々が仏性を持っているという考え方です。

  この教えに基づき、信徒は自分自身を信じ、他者に対しても仏性を見出し、共に仏果を目指すことが求められます。

 

 3. 修行と精進

 

  仏に安穏に至るためには、日々の修行と精進が欠かせません。

  日常生活の中での勤行(お経の読誦)、慈悲の行動(下種)などが含まれます。

  修行を通じて、信徒は自己の煩悩を克服し、仏の智慧を体得することができます。

 

 4. 信仰心と感謝

 

  信仰心を深め、仏に対する感謝の気持ちを忘れずに持ち続けることも重要です。

  日蓮正宗では、仏に対する信仰が深まることによって、人生の中での苦難を乗り越える力を得ることができると教えています。

  常に仏の教えに感謝し、実践を続けることで、信徒は仏果に近づいていきます。

 

 5. 日々の生活における仏法の実践

 

  日常生活の中で仏法を実践することが、仏に至る道を歩むための大切な部分です。

  家庭や仕事、社会生活の中で、仏の教えに従い、他者に対して慈悲の心を持ち、正しい行いをすることが求められます。

  このように仏法を生活に活かすことで、次第に仏性を現し、仏に近づいていくことができます。

 

 結 論

 

  仏に至る道は、題目を唱え、法華経を実践し、日々の修行を積み重ねることによって歩むものです。

  また、信仰心と感謝の気持ちを持ち、日常生活において仏法を実践することが大切です。

  信徒がこの道をしっかりと歩んでいくならば、やがて仏に至ることができるとされています。

 

 

10.執着を捨てることの大切さ  12月12日

 

 おはようございます。今日も、私たちの信仰を深め、日々の修行に励むことができることに感謝申し上げます。

 

 本日は「執着を捨てることの大切さ」についてお話しさせていただきます。

 

  私たちの生活の中で、物質的なものや感情的なものに執着してしまうことは少なくありません。

 欲望、怒り、恐れ、名誉や地位、そして金銭など、さまざまなものに対する執着が私たちの心を支配し、苦しみを生む原因となることがありま

 す。

 しかし、日蓮大聖人は「執着を捨てること」が仏道修行の本質であると教えておられます。

 

 仏教では、すべてのものは無常であり、永遠ではないと教えています。

 私たちが執着しているものも、結局は変化し、消えていくものです。

 これに対して執着を持ち続けることは、無駄な苦しみを招くだけでなく、仏道における成長を妨げる原因にもなります。

 

 日蓮大聖人は「法華経」を根本経典として、私たちに「南無妙法蓮華経」を唱えることを教えました。

 このお題目に込められた法力は、私たちを執着から解放し、心の中に平安をもたらします。

 お題目を唱え、信仰を深めることで、執着の心を断ち切り、真の自由と安らぎを得ることができるのです。

 

 また、執着を捨てることは他者との関係においても重要です。

 他人の欠点や、過去の出来事に執着し続けることで、心に余計な重荷を背負い、前に進むことができません。

 仏教の教えでは、「人を許し、愛し、心を清める」ことが大切だと説かれています。

 

 信仰の力を信じて、今日一日も執着を捨て、心を清らかにしていきましょう。

 そして、私たち一人ひとりが、日々の修行を通じて、仏果を得ることができるように、共に励んでいきたいと思います。

 

南無妙法蓮華経

 

 

 

11. 「悟る」とは  12月13日

 

 「私たち人間は、日々いろいろなことに迷い、悩みますよね。

 例えば、仕事のこと、人間関係のこと、将来の不安や健康の心配など、次から次へと悩みが尽きません。

 このように、迷いや苦しみの中にいる私たちを『衆生(しゅじょう)』と呼びます。

 

 一方で、『悟る』というのは、自分自身の迷いや苦しみを根本から解消し、物事の本質を正しく見つめる心の状態を指します。

 仏様とは、この悟りの境地に達した存在のことです。

 

 では、どうして私たちは迷ってしまうのでしょうか? それは、自分の中にある『執着』や『無明(真実を知らない状態)』が原因です。

 日蓮大聖人の教えでは、この迷いを取り除くために、南無妙法蓮華経のお題目を唱えることが大切だと説かれています。

 

 お題目を唱えることで、自分の中の仏の心、つまり悟りの心が呼び覚まされます。

 そして、迷いや苦しみの中でも、自分自身の使命や生きる意味を見出す力を得ることができるのです。

 

 ですから、私たちは『迷うことが悪い』と否定するのではなく、迷いを通じて仏の道を歩むための一歩を踏み出すことが大事なのです。

 

 

 12.功徳とは何か  12月14日

 

  皆さん、「功徳」とは一体何でしょうか?私たちは普段、功徳という言葉をよく使いますが、それがどのような意味を持ち、私たちの生活にど

 のように関わるのか、改めて考えてみたいと思います。

 

 仏教では「六根(ろっこん)」という言葉があります。六根とは、私たちが世界を感じ取るための六つの感覚器官、すなわち「眼(目)」「耳」  「鼻」「舌」「身(体)」「意(心)」を指します。

 しかし、これら六根が汚れてしまうと、物事を正しく見ることができず、悩みや苦しみを生み出してしまいます。

 

 では、六根が清らかになるとはどういうことでしょうか?それは、自分の目や耳、心を通して物事を正しく感じ、明るく、穏やかな心で生活でき

 るようになる状態を指します。

 この状態に導く力こそが、私たちが信仰を通じて得られる「功徳」です。

 

 たとえば、お題目を唱えることによって、私たちの心が次第に浄化され、煩悩や執着が薄れていきます。

 その結果、自分自身の見方や考え方が変わり、人間関係が改善されたり、日々の生活がより充実したものになっていきます。

 これが「六根清浄の果報」、すなわち功徳の実際の働きなのです。

 

 功徳は目に見えにくいこともありますが、自分自身の内面の変化や、周囲の状況の変化として必ず現れてきます。

 日々、お題目を唱え、信心を実践する中で、この六根清浄の喜びを実感していただければと思います。

 

 

 

13.お題目を唱える重要性について。  12月15日

 

 1. 「南無妙法蓮華経」の意味と役割

       「南無」は「帰依する」「身をゆだねる」という意味であり、「妙法蓮華経」は久遠元初の本法=本因妙の教主釈尊(日蓮大聖人)です。

   ちと難しい!(^.^)   •   

   この御題目を唱えることで、仏教が目指す最高の境地である「仏の境涯」を現実の中で開くことができると説かれています。

  「南無妙法蓮華経」とは、仏教の真髄そのものであり、私たちの生命の中にある仏性を引き出すための鍵です。

  それを唱えることで、私たち自身が仏の境涯を体現できるのです。

 

 2. 現代生活との関連性

       「唱題」は、悩みや困難を乗り越え、幸せや心の安定を得るための実践です。

       どんなに忙しい現代生活の中でも、「南無妙法蓮華経」を唱えることで、内面的な力を引き出し、より良い人生を築けます。

   毎日が忙しく、ストレスや悩みを抱えることが多い現代社会ですが、「南無妙法蓮華経」を唱えることで、私たちはその中に希望や力を見つ

   けることができます。

 

 3. 日蓮大聖人の教えを基盤にする

       日蓮大聖人が「唱題」を中心とする修行を最重要視されました。

       「唱題」を行うことで、仏になるための道を歩むことができます。

   日蓮大聖人は、「南無妙法蓮華経を唱えることが、仏の境地に至るための最も確実な修行である」と教えられました。

   この実践は、どんな人でも仏になれる道を開くものです。

 

    最後に「まず実践してみましょう」

       実際に唱題を行うことで、信徒自身がその価値を体験できます。

   理屈よりも、まずは実践してみることが大切です。

   一日5分からでも始めてみましょう。

   必ず、その力を実感する日が来ます。

 

 

 

14.「心(しん)・仏(ぶつ)・衆生、この三つに差別なし」  12月16日

 

 1. 基本的な意味

       「心」は私たちの内なる心、「仏」は悟りを開いた仏、「衆生」は迷いや苦しみの中にあるすべての生き物を指します。

       この三者は本質的には一体であり、分け隔てるものではない、という教えです。

  「心は私たちの生命の本質、仏はその究極の境地、そして衆生は迷いや苦しみを抱える存在です。

   一見違うように思えますが、本質的にはこれらは同じもので、私たちの中に仏も衆生も存在しています。」

 

 2. 仏性(仏になる可能性)がすべての生命にあること

       「衆生」である私たち一人ひとりの心の中にも仏になる可能性、すなわち「仏性」が宿っていることを示します。

       それを目覚めさせるための実践が「唱題」であります。

  「私たちは迷いや苦しみを抱える衆生ですが、その心の奥には仏になる種、すなわち仏性が必ずあります。

  『南無妙法蓮華経』を唱えることで、その仏性を目覚めさせ、私たちの心を仏の境地に変えることができるのです。」

 

 3. 「心」と「仏」のつながり

       仏になるためには特別な場所や時間が必要ではなく、日常の中で自分の心を磨くことが大切であります。

  「仏と聞くと、どこか遠い存在のように感じるかもしれません。しかし、仏は私たちの心の中にあります。

   心が清らかで強くなるほど、仏の境地を現実の中で感じることができるのです。」

 

 4. たとえ話

  「たとえば、太陽が雲に隠れているとき、私たちはその光を見ることができません。しかし、雲が晴れると太陽は輝きを取り戻します。

  同じように、私たちの心が迷いや苦しみという雲で覆われていても、その奥には仏の光が常にあります。

 『南無妙法蓮華経』を唱えることで、その雲を晴らし、本来の輝きを取り戻せるのです。」

 

 5. 差別がないこと

      仏と衆生を隔てるものはないという教えは、すべての人が等しく尊い存在であることを示しています。   

 「私たちは時に、自分と仏は遠い存在だと思ってしまいます。しかし、仏は特別な人だけがなれるものではなく、どんな人も、その心の持ちよう

  次第で仏の境地を開くことができます。つまり、仏と衆生の間に本当の差別はないのです。」

 

 6. この教えが日常生活の中でどう役立つか。

 「心・仏・衆生に差別がないということは、私たちの努力次第で仏の境地を実現できるということです。

 『南無妙法蓮華経』を唱えることで、その可能性を開いていきましょう。」

 

 

 

15.法華経の「方便品」と「寿量品」の読誦が重要である理由。 12月17日

 

 1. 法華経の核心を学ぶため

 

  方便品と寿量品は、法華経の中でも特に重要な教えが説かれている部分です。

      方便品は、仏が一切衆生を救済するために、様々な方法(方便)を用いて教えを説かれることを示しています。

   この章を通じて、仏がすべての人々に平等に教えを与え、悟りの道へ導く慈悲の心を学ぶことができます。

       寿量品は、仏が永遠の生命を持ち続ける存在であり、常に私たちを見守り、救済してくださっていることを説いています。

   これにより、仏の永遠性と不滅の教えを実感できます。

 

 2. 日蓮大聖人の教えに基づく修行

 

  日蓮正宗の信仰では、法華経の肝心である「南無妙法蓮華経」を唱える唱題行とともに、「方便品」と「寿量品」の読誦(読経)が修行の基本

  とされています。日蓮大聖人は、これらの章を通じて法華経の真髄に触れることを大切にされました。

 

 3. 信仰を深める功徳

 

 これらの章を読誦することで、仏教の教えへの理解が深まり、日常生活においても心が穏やかになり、智慧と慈悲の実践が促されます。

 また、読経を通じて自身の業(カルマ)を浄化し、家族や周囲にも良い影響をもたらす功徳が得られるとされています。

 

 4. 具体的な実践の例

       毎日読誦する

   初心者の方は、まずは短い時間でも良いので、毎日の習慣として読誦を行うことを心がけましょう。

 

       意味を理解しながら読む

   ただ読むだけではなく、章の内容や意味を少しずつ学びながら読誦することで、心に深く響くようになります。

 

 5. 読誦を続けることで得られる安心感

 

  方便品と寿量品を読み続けることで、仏教の深い教えが身に付き、日々の悩みや困難にも向き合える力が養われます。

  また、仏の慈悲と守護を感じられることで、信仰の喜びと安心感が得られるでしょう。

 

  「方便品」と「寿量品」の読誦は、日蓮正宗の修行における柱であり、これを続けることで自分自身も周囲の人々も幸福に導くことができるの

   です。

 

 

16.日蓮大聖人様が仏様であること。 12月18日

 

 「仏教の教えは、釈尊がこの世に誕生されてから始まりました。

 しかし、釈尊自身が説かれたように、仏法は時代とともに変化します。

 釈尊の教えが最も純粋に広まる時代(正法)から、形式だけが残る時代(像法)、そして教えが忘れられ、人々が迷う時代(末法)へと進むと言

 われています。現在の私たちは、この末法の時代に生きています。」

 

 2. 末法での救済者としての日蓮大聖人

 

 「釈尊は末法において、多くの人々を救うために現れる仏がいると予言されました。

  その教えが『法華経』に書かれています。

  その中で、法華経を弘める使命を持つ“地涌の菩薩”や末法の時代の“教主”が登場します。

  日蓮大聖人は、この地涌の菩薩として現れ、末法において人々を救済するために、南無妙法蓮華経の御本尊を顕されました。」

 

 3. ご本仏としての役割

 

 「日蓮大聖人は、単なる偉大な僧侶や学者ではありません。

  仏教の根本である仏の悟りを末法の時代にふさわしい形で顕された、ご本仏でいらっしゃいます。

  釈尊の仏教をすべて理解し、その上で、南無妙法蓮華経という真実の法を弘められたからです。」

 

 4. 信徒として

 

 「私たちが毎日お唱えする南無妙法蓮華経は、日蓮大聖人が末法の人々を救うために顕された唯一の正しい法です。

  この法を信じ、御本尊に向かって題目を唱えることが、末法における最も正しい仏道修行です。

  それは、私たち一人ひとりの幸せだけでなく、世界全体の平和と繁栄につながります。」

 

 5. 感謝と使命感

 

 「日蓮大聖人の御本仏としての教えに出会えた私たちは、とても幸運です。

  この貴重な教えを正しく守り、広めていくことが、信徒としての使命ではないでしょうか。

  私たちが正しい信仰と実践を続けることで、多くの人々が救われる道が開かれるのです。」

 

 

17.墨に染め流して書きて候ぞ  12月19日

 

 「日蓮がたましいをすみに染めながしてかきてそうろう」という御文は、日蓮大聖人が弟子や信徒を思い、命がけで書き送った御本尊や御書に対する深い心を

  示されています。

  わかりやすく言うと、日蓮大聖人は、まるで「自分の魂を墨で染めて書き記すような思い」で、教えを文字にしたり、御本尊を認(したた)めたりしている

  ということです。

 

 具体的な意味と背景

 

 大聖人がこのように表現されたのは、御本尊や御書が単なる「言葉や文字」ではなく、日蓮大聖人自身の命そのものが込められたものだということを示されて

 います。

 

 現代の例えで言えば、手紙や文章を書くときに「本当に大切な人のために、一生懸命考え、心を込めて書く」ことと似ています。

 しかし、大聖人はそれ以上の深い信心と命懸けの決意を持って、法華経の真実、南無妙法蓮華経の大事な教えを伝えようとしたのです。

 

 この御文から、私たち信徒は大聖人の深い慈悲の心と決意を感じ取り、その心に応えるべく、日々の信心修行を真剣に行うことが大切です。

 御本尊に向かい、題目(南無妙法蓮華経)を真心から唱えること、そして御書を拝読し、大聖人の魂を受け取ることが、私たちが大聖人の恩に報いる行動なの

 です。

 

 まとめると、

  「たましいをすみに染めながしてかきてそうろう」というのは、日蓮大聖人が「自らの命そのものを込めて、信徒を救うために書き記した」という深い心を

   示しています。私たち信徒もその心を受け取り、大聖人の教えを大切にし、日々の信心に励んでいくことが求められているのです。

 

 

18.日蓮大聖人様の大慈悲心  12月20日

 

 1. 大聖人様の教えに込められた慈悲

  日蓮大聖人様が私たちに残された南無妙法蓮華経の御本尊は、すべての人々を幸せに導くための究極の法です。

  この法を知れば、どのような苦しみも乗り越え、真の安らぎを得ることができます。

  しかし、この尊い教えは、私たちのために命をかけて弘められたものです。

  大聖人様は弟子や信徒のことを「我が子を愛するがごとく」深く思われ、その愛がすべての人々に向けられているのです。

 

 2. 迫害にも屈しない姿勢の根本にある慈悲

 

  大聖人様は生涯を通じて数々の迫害を受けられました。

  竜の口の法難や佐渡流罪など、命の危険にさらされることもありましたが、それでも怯むことなく教えを弘め続けられました。

  なぜでしょうか?

  それは、たとえどのような苦難があっても、迷いや苦しみに沈む人々を救わなければならないという、燃えるような慈悲の心があったからです。

  この大慈悲心こそ、私たち信徒が受け継ぐべきものです。

 

 3. 具体的な教えとしての慈悲の実践

 

  大聖人様の御書には、「地獄の苦しみに沈む一切衆生を救いたい」という願いがたびたび述べられています。

  この慈悲の心は、単に「かわいそうに思う」という消極的なものではありません。

  自ら行動し、他者を救うために実際に動く積極的な慈悲です。

  私たちが題目を唱え、周囲の方々に法華経の教えを伝えることは、大聖人様の大慈悲心に応える大切な実践なのです。

 

 4. 今、私たちができること

  信徒である私たちは、日々の生活の中で他者を思いやり、困難に直面している人々に手を差し伸べることができます。

  また、自らが題目を唱えることで、自分自身と他者を鼓舞し、より良い方向に導く力を発揮することができます。

  この一つ一つの行動が、大聖人様の大慈悲心を現代に生きる私たちの生活に結びつけるものです。

 

  最後に、日蓮大聖人様の御言葉をお伝えします。

  「日蓮は一切衆生の父なり無間地獄の苦を救う」

   この御言葉の中に、大聖人様の全ての行動の根底にある深い慈悲の心が込められています。

   私たちもこの大慈悲心を心に刻み、一歩ずつ実践してまいりましょう。

 

 

19.信心と実践   12月21日

 

  日蓮正宗の信仰において大切なことは、「信心」と「実践」の両方を日々積み重ねることです。

 

  私たちが持つべき信心は、ただ口先だけで唱えるものではなく、具体的な日常の行動に表れてこそ意味があります。

  御本尊への正しい信仰を基盤にしつつ、私たち一人ひとりが生活の中で自分を磨いていくことが大切です。

 

  1. 御題目を唱えることで心を整える

 

   日々、南無妙法蓮華経の御題目を真剣に唱え、心を正しい方向に向けることが、自分自身を磨く第一歩です。

   どんな困難があっても、御本尊を信じ、唱題を重ねることで、心が安定し、人生を前向きに進める力が湧いてきます。

 

  2. 日々の行動で人格を高める

 

   信仰を持ち続けるだけではなく、毎日の生活の中で他人への思いやりや感謝の心を忘れず、行動によって徳を積むことが大切です。

   たとえば、家族や周囲の人を大切にし、職場や地域で正直で誠実に振る舞うことで、自分自身の人格が磨かれ、周りからの信頼も生まれます。

 

  3. 困難も成長の糧とする

 

   日々の生活で直面する困難や悩みは、私たちの信心を試し、成長させる大切な機会です。

   信心を強く持ち、御題目を唱えることで、困難を乗り越える力が湧き、そこから得られる成長が自分をさらに高めてくれます。

 

   信心は、自分自身の心を浄化し、行動を正し、人生をよりよい方向に導く力です。

   どうか皆様も、日々御本尊を信じ、御題目を唱え、生活の中で実践し続けてください。

   そうすれば、必ず自分自身が磨かれ、幸福な人生を築くことができるでしょう。

 

 

20.勤行の功徳について  12月22日

 

  皆様、日々の勤行を続けていらっしゃることに深く感謝いたします。

  勤行は、日蓮正宗の信徒としての基本であり、私たちが仏道修行を実践する中心的な行いです。

  その功徳について、お話しさせていただきます。

 

 1. 勤行とは何か

 

  勤行は、私たちが日々御本尊に向かい、唱題し、御経(方便品・寿量品)を読誦する大切な行いです。

  これは、仏様への感謝を表し、自らの生命を正しい方向に導く修行です。

  また、三宝(仏・法・僧)への報恩感謝の具体的な実践でもあります。

 

 2. 勤行の功徳

 

  勤行には、次のような功徳があると説かれています。

       生命の浄化

    勤行を通じて、私たちは自身の生命に積もった迷いや煩悩を浄化します。

    これにより、心が軽くなり、日常生活での悩みやストレスが和らぐのです。

       福徳と智慧の増大  

   勤行を続けることで、私たちの生命に福徳が蓄えられ、問題を乗り越える智慧が育まれます。

   これは、日常のさまざまな試練に対応する力となります。

       祈りの実現

   勤行の中で唱題することで、私たちの祈りが叶う力が生じます。

   それは、願いを叶えるだけでなく、自分自身や周囲の人々に幸福をもたらすものです。

       宿業の消滅

   日蓮大聖人の教えによれば、勤行と唱題によって過去の悪因縁や宿業を消し去り、新たな善因を積むことができるとされています。

 

 3. 毎日の勤行の意義

 

  勤行は、続けることでその功徳を積むことができます。

  毎日欠かさず行うことで、私たちの生命が仏道に近づき、より深い信仰心と確信が得られます。

 

 4. 共に励む喜び

 

  勤行は個人の修行であると同時に、家族や同志と共に行うことで、より大きな功徳を得ることができます。

  大円寺という同じ信仰の場を共有する私たちが励まし合いながら勤行を続けることで、より強い団結と安心感を得ることができます。

 

  最後に、勤行は難しいものではありません。

  御本尊の前で心を込めて唱題し、自らの信心を新たにする時間です。

  その積み重ねが、皆様の人生に大きな幸福と功徳をもたらします。

  どうぞ、これからも日々の勤行を大切にお励みください。

 

 

21.功徳について  2023年12月23日

 

  功徳(くどく)は、仏教において非常に重要な考え方であり、特に日蓮正宗の教えの中では、御本尊に正しい信仰と実践を持ってお題目を唱え

 ることによって得られる「大いなる利益(りやく)として語られます。

 功徳は、私たちの人生を支え、根本から幸福に導く力となるものです。

 

 1. 功徳とは何か

 

  功徳とは、簡単に言えば「目には見えないけれど、人生を良い方向に変える力」のことです。

  それは現世での幸福だけでなく、未来世の利益にもつながります。

  仏法では、善行や信仰の実践によって、自分自身の内面が浄化され、環境や人間関係が調和に満ちたものに変わっていくと説かれています。

 

 2. 功徳の二つの種類

 

  日蓮正宗では、功徳には「現証」と「冥益」の二つがあると教えられています。 

        現証: 今生で目に見える形で現れる功徳です。

    例えば、健康が回復したり、家庭が円満になったり、仕事が成功したりといった形で実感できるものです。

        冥益: 目には見えませんが、確実に人生の基盤を支える力として働いている功徳です。

    例えば、大きな災難を回避したり、未来の苦難を乗り越える力を備えることです。

 

 3. 功徳を得るための具体的な行動

 

  功徳はただ待っているだけでは得られません。日蓮正宗の信徒として、次の実践が重要です:

       御本尊への信仰 :  真剣に御本尊を信じ、感謝の心で日々接すること。

        お題目(南無妙法蓮華経)の唱題 :  毎日、心を込めてお題目を唱えることで、自分自身の生命が浄化され、功徳が生じます。

        勤行 :  朝晩の勤行を続けることで、自分と仏との結びつきが深まります。

       折伏(しゃくぶく) :  他の人に仏法の素晴らしさを伝え、広める行動を通じて、自分自身の功徳も積まれます。

 

  功徳は「種を蒔くこと」に例えられます。

  信仰の実践という種を心の畑に蒔き、それをお題目という水と勤行という太陽で育てることで、やがて大きな実り(功徳)を得ることができま

  す。

   その成長過程は目には見えないかもしれませんが、確実に成長しているのです。

 

  功徳は、御本尊への信仰と正しい実践によって必ず得られるものです。

  それは、現世と未来世の幸福を生み出し、私たちを真の意味での安らぎと喜びに導いてくれます。

  一歩一歩、信仰を深めながら功徳を積んでいく道を共に歩んでいきましょう。

 

  功徳(くどく)は、仏教において非常に重要な考え方であり、特に日蓮正宗の教えの中では、御本尊に正しい信仰と実践を持ってお題目を唱えることによっ

  て得られる「大いなる利益(りやく)として語られます。

  功徳は、私たちの人生を支え、根本から幸福に導く力となるものです。

 

 1. 功徳とは何か

 

 功徳とは、簡単に言えば「目には見えないけれど、人生を良い方向に変える力」のことです。

 それは現世での幸福だけでなく、未来世の利益にもつながります。

 仏法では、善行や信仰の実践によって、自分自身の内面が浄化され、環境や人間関係が調和に満ちたものに変わっていくと説かれています。

 

 2. 功徳の二つの種類

 

  日蓮正宗では、功徳には「現証」と「冥益」の二つがあると教えられています。 

       現 証: 今生で目に見える形で現れる功徳です。例えば、健康が回復したり、家庭が円満になったり、仕事が成功したりといった形で実感できるものです。

       冥 益: 目には見えませんが、確実に人生の基盤を支える力として働いている功徳です。

   例えば、大きな災難を回避したり、未来の苦難を乗り越える力を備えることです。

 

 3. 功徳を得るための具体的な行動

 

  功徳はただ待っているだけでは得られません。

  日蓮正宗の信徒として、次の実践が重要です。

       御本尊への信仰 :  真剣に御本尊を信じ、感謝の心で日々接すること。

        お題目(南無妙法蓮華経)の唱題 :  毎日、心を込めてお題目を唱えることで、自分自身の生命が浄化され、功徳が生じます。

        勤 行 :  朝晩の勤行を続けることで、自分と仏との結びつきが深まります。

       折伏(しゃくぶく): 他の人に仏法の素晴らしさを伝え、広める行動を通じて、自分自身の功徳も積まれます。

 

  功徳は「種を蒔くこと」に例えられます。

  信仰の実践という種を心の畑に蒔き、それをお題目という水と勤行という太陽で育てることで、やがて大きな実り(功徳)を得ることができます。

  その成長過程は目には見えないかもしれませんが、確実に成長しているのです。

 

 

  功徳は、御本尊への信仰と正しい実践によって必ず得られるものです。

  それは、現世と未来世の幸福を生み出し、私たちを真の意味での安らぎと喜びに導いてくれます。

  一歩一歩、信仰を深めながら功徳を積んでいく道を共に歩んでいきましょう。

 

自受法楽(じじゅほうらく)について  令和612月24日

 

1. 自受法楽の意味とは?

 「自受法楽」とは、自ら法(仏の教え)を受けて、その教えの功徳を自ら楽しむという意味です。

  この言葉は法華経の中に記されており、仏教の修行を通じて自 分自身の生命が仏と同じ境地に到達し、その喜びや安らぎを実感する状態を指します。

 

   簡単に言えば、仏の教えを学び、実践することで、他人から与えられる喜びではなく、自分自身の内側から湧き出る深い安心感と満足感を得ることです。

 

2. 自受法楽の重要性

  自受法楽は、日々の御本尊への信仰と修行によって得られる大切な功徳です。日蓮大聖人が説かれたように、仏法の実践を通じて私たちは真の幸福を得るこ

  とができます。この幸福は、外側の状況や他人の評価によるものではなく、自分自身が仏道の真理に触れたときに生じるものです。

 

  たとえば、困難な状況に直面しても、御本尊への信心を深めることで内面的な強さを得て、迷いや不安が消え、心の平穏が訪れる経験をすることがありま

  す。これが「自受法楽」の一つの表れです。

 

3. どうすれば自受法楽を体得できるのか?

 自受法楽を実感するためには、次のような実践が重要です:

 

 1. 御本尊への信仰を深める

 御本尊に向かい、題目(南無妙法蓮華経)を唱えることで、仏の智慧と慈悲を自分の生命に引き出すことができます。

 

 2. 日々の題目を怠らない

 朝夕の勤行と唱題を通じて、仏道を日常生活に根付かせることが大切です。

 

 3. 学びを深める日蓮大聖人の御書や御法主上人の御指南を学び、仏法の深い教えを理解することで、自分自身の修行に確信を持つことができます。

 

 4. 他者のために祈り、行動する「自他共の成仏」という仏道の目的に基づき、他の人々の幸福のために祈り、助ける行動をすることで、自分自身の功徳が深まり

  ます。

 

4. 自受法楽の喜びを共有する

 自受法楽を体得すると、その喜びを周囲の人々とも分かち合いたくなります。たとえば、信仰を通じて困難を乗り越えた体験や、日々の生活の中で得た感謝の気持ちを語ることによって、他の方々にも信心の素晴らしさを伝えることができます。

 

 信仰と修行を続ける中で、自受法楽を深く体感し、それを自分の人生の軸にしていきましょう。日々の題目と実践を通じて、皆さまが真の幸福と安らぎを得られるよう、心よりお祈り申し上げます。

 

 

「欲深き法師とおぼしめすことなかれ」という御文について 20241225

 

1. 御文の背景

 この御文は、日蓮大聖人が書かれたお手紙の中にある言葉です。意味としては、「私(日蓮)のことを、欲深い僧侶だと思わないでください」という内容です。この御文は、大聖人が信徒に向けて、自身の行動や信仰の意図を説明し、誤解を解こうとされたものです。

 

 当時、大聖人は法華経を弘めるために厳しい布教活動を行い、多くの人々に教えを説かれていました。しかし、一部の人々はその活動を正しく理解せず、大聖人の行動を「自己利益のためにしているのではないか」と誤解しました。この御文は、そうした誤解に対して、大聖人の純粋な信仰心と慈悲を示すものです。

 

2. 大聖人の真意

 日蓮大聖人は、ただ御本仏として、人々を苦しみから救いたい一心で仏法を説かれました。そのためには時に厳しい指導を行い、仏法の真実を示されることもありました。それを見た一部の人々が、「日蓮は自分の名声や利益のために動いているのではないか」と疑念を抱いたのです。

 

 しかし、大聖人は決して私利私欲のために動かれていたのではなく、仏法の真理に基づき、人々の幸福を願って教えを弘めておられたのです。この御文は、大聖人がその純粋な動機を示されたものだといえます。

 

3. 現代への教訓

 この御文は、私たちが信仰を実践する上で大切な指針を教えてくれています。それは「信仰において純粋な心を保つこと」です。

 

 たとえば、信心活動や仏道修行を行う際、自分の利益や評価を求める気持ちが生じることがあります。しかし、それでは仏法の本来の目的から離れてしまいます。日蓮大聖人のように、他者の幸福を願い、純粋な信仰心を持って行動することが大切です。

 

 また、他者を批判したり誤解したりする際にも、この御文を思い出すべきです。人の表面的な行動だけを見るのではなく、その人の真意や信仰心に目を向けることが重要です。

 

4. 日々の実践に活かすには

      信仰を純粋に保つ

       修行や活動を行う際には、常に「自分の利益ではなく、仏法のため、他者の幸福のため」という意識を持つように心がけましょう。

      誤解を恐れない

       信仰を実践する中で、周囲から誤解や批判を受けることがあっても、大聖人の御心を思い、信念を持って行動し続けましょう。

      他者を正しく見る努力をする

 

 他の人の行動を表面的に判断せず、その人の真意を理解しようとする心を持つことが大切です。

 

「欲深き法師とおぼしめすことなかれ」という御文は、大聖人の純粋な慈悲と信仰を示すと同時に、私たちに信仰の本質を教えてくださる貴重な教えです。この精神を日々の生活に活かしていきましょう。

 

 

方便品第二読誦について  20241226

 法華経の方便品(第二)は、仏が衆生を救済するためにどのような方便を用いるかを説いた非常に重要な部分です。日蓮正宗の教えに基づいて、方便品を読誦する意義と功徳についてお話しいたします。

 

1. 方便品の意義

 

 方便品は、法華経全体の中で「一仏乗」の教えを説き明かす重要な品です。「一仏乗」とは、すべての衆生が仏となる道が唯一であるという教えです。この教えは、仏がさまざまな方便(手段)を用いて、衆生それぞれの能力や状況に応じた法を説くことを示しています。

 

 たとえば、「三車火宅」の譬えが方便品の中にあります。これは、火事で燃え盛る家から子供たちを助け出すために、親がさまざまな乗り物を用意したという話です。この譬えを通じて、仏が衆生を救うためにいかに慈悲深く方便を用いるかが説かれています。

 

 日蓮大聖人は、方便品を通して、この教えが仏の深い慈悲に基づいていることを示し、末法の時代においては特に南無妙法蓮華経を唱えることが重要であると教えられました。

 

2. 方便品読誦の意義

 

方便品を読誦することには、大きな意義があります。それは、以下の理由によります:

 

 1. 仏の慈悲を思い起こす

 

 方便品を読誦することで、仏が私たち一人ひとりに向けた慈悲と智慧を深く感じ取ることができます。これにより、仏の心に近づき、自分自身の信仰を強化する助けとなります。

 

2. 自身の智慧を深める

 

 方便品に込められた仏の教えを繰り返し読むことで、仏法の深い意味を理解しやすくなります。信仰における迷いや疑問が薄れ、揺るぎない信心を築く基盤となります。

 

3. 仏道修行の実践

 

 読誦することそのものが、仏道修行の一環です。音読による修行は、仏の教えを体得するだけでなく、自分の心を清め、功徳を積む具体的な行為となります。

 

3. 方便品読誦の功徳

 

方便品を読誦することで得られる功徳は計り知れません。その中でも、以下のような具体的な功徳があります:

 

1. 智慧の開発

 

 仏の教えを深く心に刻むことで、煩悩や無知が薄れ、正しい判断力や智慧が開かれます。

 

2. 煩悩の浄化

 

 方便品を唱えることで、自分自身の心の中の迷いや不安が取り除かれ、心が安らかになります。

 

3. 周囲への影響

 

 読誦することで、自分の周囲にも良い影響を与え、家族や社会全体に平和や調和をもたらします。

 

4. 南無妙法蓮華経の信仰を深める

 

 方便品を通じて、南無妙法蓮華経がいかに重要であるかを再確認できます。これは、日々の御題目の唱題行にもつながる深い功徳です。

 

 方便品の読誦は、単なる言葉を読む行為ではなく、仏の深い教えを心に刻み、自分自身をより良く変化させる修行です。日々の勤行の中で方便品を唱えることにより、仏の慈悲を深く感じ、功徳を積み、南無妙法蓮華経の信仰をより深めていきましょう。

 

 どうぞこれからも、方便品の読誦を通じて、仏道修行を進め、より大きな功徳を得られるよう精進してください。

 

 

 

寿量品(法華経第十六)読誦の重要性  R61227

 

 寿量品(法華経第十六)は、法華経の中でも特に重要な教えが説かれている章であり、日蓮正宗においては深い信仰の中心として位置付けられています。

 寿量品を読誦する意義と功徳について、お話しいたします。

 

1. 寿量品の意義

 

 寿量品は、仏が永遠の生命を持つ「久遠実成の仏」であることを明らかにした部分です。これは、仏の生命が限りある存在ではなく、永遠不滅であることを示しています。日蓮大聖人は、この久遠実成の教えを末法の衆生を救う唯一の真実の教えと位置付け、南無妙法蓮華経を唱える根本的な理由とされました。

 

 また、寿量品では「衆生本来仏」という教えも含まれており、すべての人が仏性を持ち、仏になる可能性があることが説かれています。この教えは、自分の内なる仏性を信じ、仏道修行に励む力を与えてくれるものです。

 

2. 寿量品読誦の意義

 

 1. 仏の永遠性を心に刻む

 

 寿量品を読誦することで、仏の永遠の生命と慈悲を深く感じ取ることができます。この教えを日々の生活に取り入れることで、自らの信仰が揺るぎないものと なります。 

 

 2. 御本尊への深い信仰を養う

 寿量品は、日蓮大聖人が顕された御本尊の意義を深く理解するための鍵となる教えです。御本尊を拝しながら寿量品を読誦することで、仏の生命と一体となる喜びを得られます。

 

 3. 自己の仏性を開発する

 

 寿量品には、すべての人が仏となる可能性を持つことが明らかにされています。この教えを読誦することで、自分の内なる仏性を意識し、日々の修行に励む力が湧きます。

 

3. 寿量品読誦の功徳

 

 寿量品を読誦することで得られる功徳には、以下のようなものがあります。

 

  1. 永遠の安らぎを得る

 仏の久遠の生命を心に刻むことで、人生の苦しみや不安を超越し、永遠の安らぎを得られます。

 

 2. 迷いを克服する

 寿量品の教えを繰り返し唱えることで、煩悩や迷いが薄れ、正しい方向へと自分を導く智慧を得られます。

 

 3. 健康と福徳の増進

 

  寿量品には、仏の功徳と福徳が込められています。この章を読誦することで、自らの健康や生活全般において功徳が顕現しやすくなります。

 

 4. 他者を救う力を得る

 

  寿量品の教えを実践することで、自分だけでなく周囲の人々にも良い影響を与え、社会全体を救う力を養うことができます。

 

 寿量品を読誦することは、仏の永遠の生命と慈悲を心に刻み、自らの仏性を開花させるための大切な修行です。御本尊を拝みながら寿量品を読誦することで、仏と一体となり、日々の生活で功徳を実感できるようになります。日々の勤行に努めて、仏道修行を深めていきましょう。

 

これからも南無妙法蓮華経を唱え、仏の教えを実践しながら、信仰生活をさらに充実させていただきたいと思います。

 

 

勤行(ごんぎょう)の意義とその功徳について R61228

 

勤行の意義

 

 勤行とは、「勤(つと)めて善法(ぜんぽう)を行う」ことで、日々の生活の中で仏様に感謝を捧げ、自らの信仰心を深めるための重要な修行です。私たちが勤行を行う目的は、 御本尊に向かい心から感謝と祈りを捧げることで、仏様と一体になるため です。

御本尊を中心にした勤行は、 仏道修行の基本 として、私たちの人生を正しい方向へ導く羅針盤のようなものです。

 

 勤行を通じて唱えるお題目「南無妙法蓮華経」は、

 ※久遠元初の本法・久遠元初の仏様※

であり、この大いなる力と調和することで、自分自身が仏の境涯を開きます。また、毎日繰り返し行う勤行は、私たちの心を整え、世俗の煩悩から解放される道となるのです。

 

勤行の功徳

 

勤行には以下のような功徳があります:

 1. 宿業の消滅

 勤行を通じてお題目を唱えることで、過去世からの悪い因縁(宿業)を浄化する力が生まれます。これにより、今世の苦しみや障害が軽減され、より明るい未来を築くことができます。

 

 2. 現世安穏と後生善処

 勤行を日々欠かさず行うことにより、現世での生活が安穏となり、未来の人生においても幸福な境涯が開かれます。

 

 3. 家族や周囲への影響

 勤行の功徳は、単に自分自身に留まらず、家族や周囲の人々にも良い影響を与えます。御本尊の前で祈ることで、家族の健康や繁栄、平和を願う力が周囲に広がります。

 

 4. 人生の目的を自覚

 勤行を続けることで、自分の人生の意味や目的を深く理解できるようになり、困難な状況にもぶれない心を養います。

 

 日々の勤行を継続するために

 

 勤行は、 「毎日行う」ことが最も大切 です。短い時間でも良いので、心を込めて行うことで、仏様とのつながりが深まります。忙しい日々の中であっても、朝と夜、御本尊に向き合い心静かに勤行をする時間を大切にしてください。

 

皆様が勤行を通じて御本尊の御力をいただき、心身ともに豊かで充実した日々を送られることを心からお祈り申し上げます。

 

 

 

「久遠元初の本法」と「久遠元初の仏」 R61229

 日蓮正宗における「久遠元初の本法」と「久遠元初の仏」の関係性を、簡単に説明します。

 

1. 久遠元初の本法とは

 

「久遠元初の本法(くおんがんしょのほんぽう)」とは、宇宙と生命の根本にある絶対的な法(真理)のことです。これは時間や空間を超えた、永遠不変の法則であり、全ての生命を救済する力を持つ 「妙法蓮華経」そのもの を指します。

 

2. 久遠元初の仏とは

 

「久遠元初の仏(くおんがんしょのほとけ)」とは、この久遠元初の本法を完全に体現した仏(覚者)を指します。日蓮正宗では、久遠元初の仏は釈尊ではなく、 日蓮大聖人こそが久遠元初の仏 であると説いています。つまり、大聖人は、この根本の法である妙法蓮華経を実践し、人々に顕された存在です。

 

3. 両者の関係性

 

「久遠元初の本法」と「久遠元初の仏」は、切り離すことのできない一体の関係にあります。

 

 •   久遠元初の本法(妙法蓮華経) は、生命の根本の法則であり、それ自体が宇宙の真理です。

 

      久遠元初の仏(日蓮大聖人) は、その本法を実際に体現し、人々を救済する働きを持つ具体的な存在です。

 

 例えるなら、「光(法)」と「太陽(仏)」のような関係です。太陽があることで光が広がるように、仏がいることで本法が顕現し、人々に救済の道が示されます。

 

4. 私たちとの関わり

 

 私たちが久遠元初の本法を受け入れ、それを信じ実践することで、久遠元初の仏とつながり、仏と同じ境涯を開くことができます。この関係性を深く理解し、「南無妙法蓮華経」を唱えることを通じて、私たちは自身の生命を仏の境涯へと高めることができるのです。

 

まとめると、久遠元初の本法は真理そのものであり、久遠元初の仏はその真理を具体的に顕し、実践し、人々を救済する存在です。日蓮正宗の教えでは、この両者が一体であることを深く信じることが、信仰の根本となります。

 

 

 

諸天善神と法味、そして勤行の大事について  R61230

 

 諸天善神と法味の関係について

まず、諸天善神とは、この宇宙や自然界を司る守護の神々のことを指します。仏法では、この諸天善神が法を守り、正しい信仰を行う人々を守護すると説かれています。特に、日蓮正宗の信徒が正しい信仰と修行に励むとき、諸天善神は仏様の力用(りきゆう)で、私たちの誠実な姿に感応し、あらゆる面で支援をしてくださいます。

 

 「法味」とは、仏法の教えを実践し、そこから得られる真実の喜びや利益を指します。勤行や御本尊への信仰を通じて、私たちが仏法の教えを実生活で体現することで、この「法味」を感じることができます。諸天善神は、この法味を味わいながら信仰を深める私たちをさらに強く守り、支えます。

 

諸天善神と法味の関係を簡単に言えば、信徒が法味を味わい、信心を深めることで、諸天善神の守護がさらに強化される、という相互作用があります。

 

勤行の大事について

 日蓮正宗の信徒にとって、勤行は信仰生活の中心であり、最も重要な修行です。勤行を通じて、私たちは御本尊への深い感謝を表し、御本尊と一体となる修行を行うことができます。特に、唱題を通じて妙法蓮華経の力を自身の生命に取り込み、仏道を実践していく力を養います。

 

 勤行はまた、諸天善神との関係を強化する鍵でもあります。勤行の際に正しい心で祈り、御本尊への信仰を深めることで、諸天善神は私たちを見守り、日々の生活において障害を取り除き、順境を与えてくださるのです。

 

勤行を毎日継続することが大切です。これは、仏法の教えに基づく日々の習慣であり、私たちの生命を清浄にし、法味を実感するための最良の道です。

 

まとめ

 諸天善神と法味の関係、そして勤行の大事さを一言で言えば、「信仰と実践がすべてをつなぐ」ということです。諸天善神の守護を受けるためには、私たちが勤行を通じて御本尊と向き合い、仏法の教えを生活に生かしていくことが欠かせません。そして、その結果として得られる法味が、私たちの人生を豊かにし、諸天善神のさらなる守護をもたらします。

 

「勤行を中心に信仰を深め、仏法の喜びを実感していくことが、諸天善神との良い関係を築く鍵です」

 

 

 

生身妙覚とは  R61231

 日蓮正宗における「生身妙覚(しょうしんみょうがく)」は、仏教の深い教義の一つであり、特に日蓮大聖人が説かれた仏法の核心に関わる内容です。

 

生身妙覚とは

 

 「生身妙覚」とは、「生きたこの身のままで、妙覚(仏の悟り)を得る」という意味です。仏教では、悟りを開いて仏となることが理想とされていますが、それは普通、死後に到達するものと考えられていました。しかし、日蓮大聖人が説かれた法華経の教えでは、私たちが今この肉体を持ったままで、仏の悟りの境地を得られると教えられています。

 

なぜ「生身」のままで悟りを得られるのか?

 

 その理由は、私たちの生命に本来の仏性が具わっているからです。仏性とは、全ての生命が持つ「仏となる可能性」のことで、特別な存在だけでなく、どんな人の生命にも宿っています。

日蓮大聖人は、「南無妙法蓮華経」の御題目を唱え、信行に励むことで、この仏性が目覚め、誰もが現世で妙覚の境地に至ることができると明示されました。

 

実践を通して悟りを得る

 

 具体的には、信徒が大聖人の御本尊を信じ、正しい信仰と行いを続けることで、自分の生命の中に仏の光が現れ、現実の中で仏の境地を体感することができるのです。これが「現証」です。現証とは、教えが現実の中で証明されることを指します。

 

 たとえば、困難な状況に直面しても、祈りと信心を貫くことで、解決策が見つかったり、心が平穏になったりするという経験を通じて、「この身このままで仏法の利益(りやく)を受けている」と実感できるのです。

 

 「生身妙覚」は、「仏になるために特別な力が必要だ」という誤解を解き、私たち一人ひとりが今の生活の中で悟りの境地に至れることを示す希望の教えです。そして、それを可能にするのが、「南無妙法蓮華経」の信行であり、御本尊に向かう日々の勤行・唱題です。

 

 

この教えを日々の実践に生かし、さらに自分だけでなく他者へも仏法を広めていくことが、信徒としての重要な使命です。