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日蓮正宗の第三祖である日目上人(にちもくしょうにん)が「一閻浮提(いちえんぶだい)の御座主」とされることについて、簡単にわかりやすくお話しします。

 

「一閻浮提」とは?

仏教では「閻浮提(えんぶだい)」とは、人間が住む世界、つまりこの地球全体を指します。「一閻浮提」とは、世界全体を意味すると考えてください。

 

「御座主」とは?

「御座主(おんざす)」とは、仏法を説き広め、教団を率いる最高の指導者のことを言います。

 

日目上人が「一閻浮提の御座主」とされる理由

日目上人は、日蓮大聖人の教えを正しく受け継ぎ、それを広めるために尽力した方です。特に、日蓮大聖人の正しい信仰と教えを次の世代に確実に伝えるための基盤を築かれました。具体的には、日蓮大聖人の教えを体系的に整理し、それを信徒に分かりやすく伝える努力をされたのです。

 

そのため、日目上人は単なる教団のリーダーではなく、「世界全体に広がるべき正しい仏法を守り、伝える役割」を担う存在、すなわち「一閻浮提の御座主」として位置づけられています。

 

日目上人の功績の具体例

 

 1. 御本尊の信仰の確立

日目上人は、日蓮大聖人が顕された御本尊(南無妙法蓮華経の曼荼羅)への正しい信仰を確立しました。これにより、正しい信仰の形が守られました。

 

2. 後継者の育成

後継者を育てることで、日蓮大聖人の教えを後世に伝える仕組みを作りました。

 

3. 教学の整理

日蓮大聖人の教えを文献として整理し、分かりやすく信徒に伝えました。

つまり、日目上人は日蓮大聖人の教えを守り、広める大きな使命を担った方であり、その役割が「一閻浮提の御座主」とされる理由なのです。日目上人の活動により、仏法はより多くの人々に広がり、現代にまで伝えられています。

 

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日蓮正宗における「仏法僧の三宝(さんぼう)」とは、信仰の中心となる三つの大切な柱のことです。「仏」「法」「僧」という三つの言葉で表されます。それぞれが具体的に何を意味するのか、わかりやすくお話しします。

 

1. 仏(ぶつ)

 

「仏」とは、仏教の教えを説いた偉大な指導者である仏陀(仏様)を指します。

日蓮正宗では、「仏」は日蓮大聖人を指します。日蓮大聖人は末法の時代に出現した「末法の御本仏」として、私たちに正しい仏法を教えてくださった存在です。つまり、「仏」とは信仰の根本となる偉大な導師です。

 

2. 法(ほう)

 

「法」とは、仏が説いた教えのことです。日蓮正宗では、「法」は日蓮大聖人が顕された南無妙法蓮華経の御本尊を指します。

この御本尊には、仏の悟りの境地や宇宙の真理が具現されています。そして、この御本尊を信じ、唱えること(お題目を唱えること)が私たちの修行の中心となります。したがって、「法」とは私たちを導く真理であり、信仰の具体的な対象です。

 

3. 僧(そう)

 

「僧」とは、仏の教えを守り、伝え広める僧侶や教団を指します。

日蓮正宗では、「僧」とは日蓮大聖人の教えを受け継ぐ総本山大石寺の歴代の御法主上人と、法を正しく伝える僧侶方を意味します。特に、御法主上人は教団の最高指導者として、仏法の正しい伝統を守り、信徒を導く大切な役割を担っています。

 

三宝の関係

      仏(日蓮大聖人)が示された、

      法(南無妙法蓮華経の御本尊)を私たちが信じ、

      僧(御法主上人と僧侶方)がその正しい教えを守り伝える。

この三つがそろうことで、私たちは正しい信仰と修行を行うことができます。この三宝を信じ、敬うことが、日蓮正宗の信仰の根本です。

 

まとめ

 

「仏法僧の三宝」とは、仏教の根本となる三つの宝であり、日蓮正宗では

      仏:日蓮大聖人

      法:南無妙法蓮華経の御本尊

      僧:御法主上人と僧侶方

この三つを信じ、敬うことが、幸せな人生と仏の境地への道につながると教えられています。

 

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日蓮正宗の「文底下種の三宝(もんていげしゅのさんぼう)」について。

 

1. 「三宝」とは?

 

仏教では「三宝(さんぼう)」とは、仏(ぶつ)・法(ほう)・僧(そう)の三つの尊いものを指します。

 

      仏宝(ぶっぽう)…仏(悟りを開いた存在)

      法宝(ほうぼう)…仏の教え(法)

      僧宝(そうぼう)…仏法を守り伝える僧侶

 

しかし、日蓮正宗では特別な考え方があり、「文底下種の三宝」として教えています。

 

2. 「文底下種」とは?

 

「文底(もんてい)」とは、経文の表面に書かれていない深い意味を指します。

「下種(げしゅ)」とは、仏の種を植えること、つまり人々を救う根本の教えです。

つまり、「文底下種」とは、仏教の奥深い真実であり、日蓮大聖人が説いた根本の教えという意味になります。

 

3. 日蓮正宗の「三宝」

 

日蓮正宗では、この「文底下種」の教えに基づいて、以下のように三宝を定めています。

 

1. 仏宝(ぶっぽう)日蓮大聖人

         釈迦仏ではなく末法

の御本仏(根本の仏)として日蓮大聖人を仰ぎます。

 

2. 法宝(ほうぼう)本門戒壇の大御本尊(ほんもんかいだんのだいごほんぞん)

        日蓮大聖人が顕された、全人類を救う根本の御本尊を指します。

 

3. 僧宝(そうぼう)日興上人と、その正統な血脈を継ぐ御法主上人

        大聖人の教えを正しく受け継ぎ、弘める僧侶の代表として、日興上人と歴代の御法主上人を僧宝とします。

 

4. なぜこの三宝が重要なのか?

 

日蓮正宗では、「正しい仏宝・法宝・僧宝を信じることが、人々が救われるために絶対に必要」と説いています。

つまり、

 

      日蓮大聖人を御本仏と信じ、

     本門戒壇の大御本尊に題目を唱え、

     正しい僧侶(御法主上人)を信じて仏道修行することが、成仏への道であると考えます。

 

この「文底下種の三宝」の教えによって、日蓮正宗の信仰の中心が形作られています。

 

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日蓮正宗における「久遠元初(くおんがんじょ)の三宝」とは、仏・法・僧の三つの尊い存在(仏宝・法宝・僧宝)を、久遠元初の視点から捉えたものです。これは、一般的な仏教における三宝とは異なり、日蓮正宗独自の教えに基づいています。

 

1. 仏宝(ぶっぽう):久遠元初の自受用報身如来(日蓮大聖人)

仏教では、仏とは悟りを開いた存在を指します。日蓮正宗では、日蓮大聖人こそが末法の時代に出現した「久遠元初の自受用報身如来(じじゅうほうしんにょらい)」であり、本来の仏であるとされます。つまり、久遠の昔から仏であり、私たちを救うためにこの世に現れた存在として信仰されます。

 

2. 法宝(ほうぼう):本門戒壇の大御本尊

法とは、仏の教えや真理を意味します。日蓮正宗では、その究極の法が「本門戒壇(ほんもんかいだん)の大御本尊」だとされます。これは、日蓮大聖人が建立した御本尊であり、すべての人々を救う根本の法であるとされています。

 

3. 僧宝(そうぼう):日興上人と正統な血脈相承の僧侶

僧とは、仏の教えを正しく受け継ぎ、人々に広める役割を担う存在です。日蓮正宗では、日蓮大聖人の直弟子である日興上人が、唯一正しい教えを受け継いだ僧侶であり、その教えを正しく継承する歴代の法主(ほっす)が僧宝とされます。

 

まとめ

日蓮正宗の久遠元初の三宝は、仏(久遠元初の自受用報身如来である日蓮大聖人)、法(本門戒壇の大御本尊)、僧(日興上人とその正統な血脈を継ぐ法主)という形で確立されています。この三宝を正しく信仰し、南無妙法蓮華経と唱えることで、末法の衆生は救われると説かれています。

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日蓮正宗における**血脈付法(けちみゃくふほう)**とは、日蓮大聖人の教えを正しく継承するために、歴代の法主(ほっす)にのみ受け継がれる仏法の伝承のことを指します。これは単なる教えの伝達ではなく、法主が師から弟子へと法灯を継承することで、日蓮大聖人の仏法が正しく護持されるとされています。

 

血脈付法の意義

 

 1. 唯授一人(ゆいじゅいちにん)

 

         日蓮大聖人から日興上人へ、そしてその後の歴代法主へと、一人の法主にのみ伝えられる形式をとっています。これにより、仏法の正統性が守られると考えられています。

 

2. 本門戒壇の大御本尊との関係

 

         日蓮正宗では、**「本門戒壇の大御本尊」**が信仰の中心とされ、これを正しく護持し、その意義を伝えるのが法主の役目です。血脈付法によって、この教えが途切れることなく続いているとされています。

 

3. 「法水写瓶(ほっすいしゃびょう)」の考え方

 

         水が瓶から瓶へと移し替えられても、その本質は変わらないように、仏法も法主から法主へと正しく伝えられる、というたとえが用いられます。

 

血脈付法の流れ

 

日蓮大聖人 日興上人 歴代法主(総本山大石寺にて)

現在の法主も、先代の法主から血脈を受け継いでいるとされています。

 

信徒にとっての意義

 

信徒にとって血脈付法とは、法主を通じて日蓮大聖人の正しい教えに触れることができるという点で重要視されています。そのため、法主への信仰を深めることが、正しい信仰実践につながるとされています。

 

簡単に言えば、日蓮正宗では、教えが途絶えることなく正しく受け継がれるために、法主が唯一の継承者として血脈を受け継ぐという仕組みをとっている、ということです。

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日蓮大聖人が「法をこころえたるしるしには、僧を敬い、法をあがめ、仏を供養すべし」とお示しくださっているように、私たちが正しく仏法を理解している証として大切なのは、仏・法・僧の三宝を尊び敬うことです。

 

では、これを日々の実践としてどう表していくのか。それが「勤行」です。勤行は、単なる儀式ではなく、私たちが仏・法・僧の三宝に対する感謝と敬意を具体的な行動で示すものです。

 

まず「仏を供養する」とは何か。

日蓮大聖人が顕された南無妙法蓮華経こそ、末法における仏の実体です。したがって、私たちが御本尊に向かい、南無妙法蓮華経と唱えることが、仏を供養する最も尊い実践になります。

 

次に「法をあがめる」とは何か。

法とは妙法蓮華経の教えです。勤行では、法華経の方便品・如来寿量品の自我偈を読誦し、妙法の偉大さを讃えます。これは、私たちが法を尊び、その教えを心に刻む行為です。

 

最後に「僧を敬う」とは何か。

僧とは、二祖日興上人以来御歴代上人・妙法を弘める人々のことです。日蓮大聖人ご自身がその根本であり、その御精神を受け継ぎ、広宣流布に励む人々を尊び敬うことが、僧を敬うことになります。勤行を通して、私たちはその誓いを新たにします。

 

このように、勤行は「仏・法・僧の三宝」に対する御報恩謝徳の実践です。ただ形だけ行うのではなく、「今こうして仏法に巡り合えたことへの感謝」「妙法を広める決意」をもって臨むことで、勤行はより深い意味を持ち、私たちの信仰の糧となります。

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**「一天四海」(いってんしかい)**とは、仏教や漢籍に由来する表現で、「天下万民」「世界中」「全世界」などの意味を持ちます。

 

この言葉は、仏教における世界観に基づいています。仏教では、私たちの住む世界を「一天」と表し、四方の海(四海)に囲まれていると考えられていました。そのため、「一天四海」とは「世界のすべて」や「全人類」を指す言葉として使われるようになりました。

 

日蓮大聖人の御書にも「一天四海皆帰妙法」(一天四海ことごとく妙法に帰す)というように用いられ、妙法が世界中に広まることを願う文脈で使われています。これは、妙法蓮華経の教えが国や民族を超えて、すべての人々を救う普遍的な法であることを示しています。

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**本因妙(ほんにんみょう)**とは、法華経の教えにおいて、仏が成仏した根本の因(原因)が妙法であるという法理を指します。

 

本因妙の意味

 

「本因」とは、仏が成仏するための根本の因(修行)を指し、「妙」とは南無妙法蓮華経という究極の真理を意味します。つまり、本因妙とは、久遠元初(くおんがんじょ)より、仏が妙法を修行することで成仏したという教えです。

 

法華経における位置づけ

 

法華経の前半(迹門・しゃくもん)では、仏の成仏の因について詳しく説かれていません。しかし、後半の**寿量品(じゅりょうほん)**において、釈迦仏は「実は私はインドで初めて成仏したのではなく、遥か昔の久遠元初から成仏していた」と明かします。この久遠元初の仏の成仏の因こそが「本因妙」であり、それは南無妙法蓮華経を修行することだったのです。

 

日蓮大聖人の御教え

 

日蓮大聖人は、この本因妙の法理を明らかにし、末法において人々が成仏するための実践として**南無妙法蓮華経を唱えること(唱題行)**を説かれました。つまり、仏が成仏した因と同じ修行をすることによって、私たちも仏と同じ境涯に至ることができるのです。

 

本因妙の重要性

 

一般的な仏教では、「善い行いを積んで、未来に成仏を目指す」という考えが主流ですが、本因妙の教えでは、「すでに仏が成仏した原因である妙法を修行することによって、今この瞬間から仏の境涯を開くことができる」と説かれています。これが、日蓮大聖人の教えの根本的な特徴です。

 

本因妙の仏法とは、日蓮大聖人(久遠元初の仏様)の教えということです。

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日蓮正宗における「広宣流布(こうせんるふ)」とは、日蓮大聖人が顕された**三大秘法(本門の本尊・本門の戒壇・本門の題目)**を全世界に弘め、すべての人々を正法(正しい仏法)へ導くことを指します。

 

広宣流布の意義

 

 1. 日蓮大聖人の遺命

 

広宣流布は、日蓮大聖人が末法の衆生を救済するために説かれた究極の目的であり、門下に託された使命です。

 

2. 三大秘法の確立

 

広宣流布の本質は、本門の本尊(大御本尊)を信仰し、本門の題目(南無妙法蓮華経)を唱え、本門の戒壇(正しい信仰の拠り所)を確立することにあります。

 

3. 戒壇の建立

 

日蓮正宗では、広宣流布が成就した暁には、「本門戒壇」が建立されると説かれています。

 

広宣流布の進め方

      折伏(しゃくぶく): 他宗の誤りを指摘し、日蓮大聖人の正法を伝える布教活動。

      信心修行: 毎日の勤行(朝夕の題目・読経)を行い、信仰を深める。

      組織活動: 法華講などの組織を通じて、信仰の輪を広げる。

 

広宣流布の最終目的

最終的には、日本のみならず世界中の人々が正法に帰依し、仏法による平和と幸福が実現することが目指されています。

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  法華経における**広宣流布(こうせんるふ)とは、法華経の教えが末法の時代に広く人々に弘められ、多くの衆生が救われることを意味します。これは、特に法華経の「如来寿量品第十六」や「薬王菩薩本事品第二十三」『我滅度後 後五百歳中 広宣流布 於閻浮提 無令断絶 』

*などに説かれています。

 

 

法華経における広宣流布の意義

 

法華経では、釈尊が**永遠の仏(久遠実成の仏)**であり、その教えが未来永劫にわたって衆生を救済することが説かれています。

特に末法の時代には、多くの困難があるものの、法華経を信じて広めることが最も尊い行いであるとされています。

 

広宣流布の根拠となる法華経の記述

 

1. 「薬王菩薩本事品第二十三」    

     未来の世において法華経を信じて弘める者は、多くの苦難に遭うが、それでも忍耐し続けることが重要と説かれる。

 

         法華経を広める者には、計り知れない功徳がある。

 

 2. 「如来寿量品第十六」

 

         釈尊は久遠の昔から存在し、衆生を救うために常に法を説いてきた。

 

       末法の時代においても、この教えが広まり、衆生を救うことが重要。

 

3. 「常不軽菩薩品第二十」

 

         過去世の常不軽菩薩が、法華経の教えを広めるために迫害を受けながらも「あなたがたも皆仏になれる」と説き続けた。

 

         これは、広宣流布の精神を象徴するエピソード。

 

法華経における広宣流布の重要なポイント

 

1. 末法の時代にこそ法華経が弘まるべき

 

         法華経では、末法の時代(釈尊入滅後の遠い未来)にこそ、この教えが必要であり、それを広めることが仏の意志であると説かれる。

 

 2. 迫害を乗り越えて弘めることが大切

 

         法華経を広める者は迫害を受けるが、それを忍耐し、広め続けることが大切である。

 

3. 広宣流布の功徳

         法華経を弘めることは、自身の成仏だけでなく、多くの衆生を救うことにつながる。

 

法華経の広宣流布と日蓮大聖人

 

日蓮大聖人は、法華経に説かれる「末法の時代に法華経が広まる」という記述を、自らの布教活動の根拠としました。

特に「薬王菩薩本事品」や「常不軽菩薩品」の精神を体現し、「南無妙法蓮華経」の題目を唱えることを広宣流布の中心に据えました。

 

まとめ

 

法華経における広宣流布とは、末法の時代に法華経が広まり、人々が救済されることを指します。

これは迫害を乗り越えながらも弘め続けるべきものであり、広宣流布の行動そのものが功徳を生むと説かれています。

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日蓮正宗における「大願成就」とは、単なる個人的な願いの達成ではなく、根本的には 「法華弘通」 すなわち 「正しい仏法を広めること」 を意味します。

 

日蓮大聖人は、『開目抄』において 「大願とは法華弘通なり」 と述べられています。これは、単に自己の幸せや世俗的な成功を願うのではなく、仏法を正しく弘め、多くの人々を救済することこそが、最も崇高な願いであるという教えです。

 

日蓮正宗における「大願成就」の意義

 

1. 法華弘通(正法の広宣流布)

         日蓮大聖人が説かれた南無妙法蓮華経の教えを広め、人々を成仏へ導くことが根本の願い。

 

         単なる布教活動ではなく、人々の人生や社会全体の根本的な幸福を実現することを目的とする。

 

 2. 自行化他(自らの修行と他者の救済)

         自身が正しい信仰を持ち、勤行・唱題を実践すること。

 

         その功徳をもって他者を救い、共に正しい仏道を歩むことが重要。

 

 3. 妙法への絶対的な信と実践

 

         真の大願は、個々の願い(健康・仕事・家庭の安定など)の先にある「仏法の正しい流布」にある。

 

         それゆえ、個人的な願いも、最終的には妙法の実践によって叶えられると考えられる。

 

現代における「大願成就」の実践

 

日蓮正宗の信徒にとっての大願成就とは、「南無妙法蓮華経の信仰を深め、折伏を通じて一人でも多くの人を救済し、広宣流布を進めること」 です。日々の唱題や御法主上人の指導を実践し、広布のために行動することこそが、最も意義深い願いの成就となります。

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日蓮正宗における「大願成就」を具体的に実践するには、「自行」と「化他」 の両面から取り組むことが大切です。

 

1. 自行(自らの信仰と修行)

 

まず、自身がしっかりと信仰を深めることが大前提となります。

 

① しっかりと勤行・唱題を実践する

 

      朝夕の勤行(読経・唱題)を欠かさず行う。

 

      唱題の強化(特に1時間以上の唱題行)に励み、信心を深める。

 

      御本尊に向かい、心を込めて「南無妙法蓮華経」を唱え、広布のために祈る。

 

      「三大秘法(本門の本尊・本門の題目・本門の戒壇)」の意義を理解し、実践する。

 

② 御住職や御法主上人の御指南に従う

 

      御法主上人の御指南 をよく学び、その通りに実践する。

 

      寺院参詣を欠かさず、御住職の指導を受ける。

 

      『御書』や信心書籍を学び、正しい仏法の理解を深める。

 

③ 御講や法要に積極的に参加する

 

      毎月の御講 に参加し、信心の体験や指導を共有する。

 

      広布推進会 などの行事に参加し、同志と共に修行する。

 

2. 化他(他者を救う=折伏・弘通)

 

自行で得た功徳をもって、他者を救済し、仏法を広めることが「化他」の実践です。

 

① 折伏(仏法を伝え、入信を勧める)

 

      家族・親戚・友人・知人に 日蓮正宗の信仰を伝え、入信を勧める(折伏)。

 

      折伏のポイント

 

         その人の悩みや関心に寄り添いながら、仏法の素晴らしさを伝える。

 

         無理に押し付けず、相手のペースを尊重しながら話す。

 

         自分自身が信心で幸福になっている姿を示すことが大切。

 

② 新しい人を寺院に連れて行く

 

      初めての人を寺院に案内し、法話を聞かせる。

 

      御住職と直接話す機会をつくり、仏法の深さを感じてもらう。

 

③ 実証(自分の信仰による功徳を示す)

 

      信心によって願いが叶った体験や、人生が好転した実例を話す。

 

      「この仏法を実践すれば、人生が変わる」と実証を示し、信仰を広める。

 

3. 日々の心構えと継続

 

① 常に「広布のために」という意識を持つ

 

      自分の願いを叶えることも大切だが、それが 「法華弘通(広布)のためになるか?」 を考える。

 

      例えば、「仕事が成功することが広布にどう貢献するか」「家庭が安定することで折伏がしやすくなるか」など、信仰と日常を結びつける。

 

② 三障四魔を乗り越える

 

      正しく信仰をしていると、さまざまな障り(仕事の悩み、人間関係のトラブル、健康問題など)が出てくることがある。

 

      これは 仏道修行の証 であり、唱題と折伏によって乗り越えることが大事。

 

③ 継続することが大切

 

     一時的な信仰ではなく、一生をかけて 仏道修行に励む。

 

      「信心は根気」と言われるように、続けることが何よりの力 となる。

 

まとめ

 

日蓮正宗の「大願成就」とは、単に個人の願いを叶えることではなく、「法華弘通(広布)」を成し遂げること です。そのためには、次の3つを実践することが重要です。

 

 1. 自行(勤行・唱題・御法主上人の御指南に従う)

 

 2. 化他(折伏・弘通・新しい人を寺院へ案内する)

 

 3. 広布の意識を持ち、継続すること。

 

これらを実践し続けることで、真の大願成就へとつながります。

 

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「一切無障碍(いっさいむしょうげ)」についてわかりやすく解説

 

1. 「一切無障碍」とは?

「一切無障碍」とは、 すべての障り(さまたげ)がなくなること を意味します。つまり、 人生においてあらゆる困難や障害を取り除き、思うように道が開ける状態 を表しています。

      「一切」 すべて

      「無」 ない

      「障碍(しょうげ)」 妨げや障害(問題や困難のこと)

 

つまり、「一切無障碍」とは、 人生のあらゆる壁が取り除かれ、物事が順調に進む状態 という意味です。

 

2. なぜ「一切無障碍」が大切なのか?

私たちの人生には、さまざまな困難がつきものです。たとえば…

      仕事でのトラブル

      人間関係の悩み

      経済的な問題

      病気や健康の悩み

 

こうした問題が続くと、思うように前に進めず、苦しむことになります。しかし、 正しい信心を持ち、御本尊に祈ることで、こうした障害が取り除かれ、道が開かれるのです。

 

日蓮大聖人も、 「強い信心を持つ者には、どんな困難も乗り越える力が与えられる」 と説かれています。つまり、 信仰を深めることで、人生がスムーズに進むようになり、一切の障害がなくなっていく のです。

 

3. どうすれば「一切無障碍」の功徳を得られるのか?

「一切無障碍」の状態になるためには、次のことを意識しましょう。

 

① 勤行・唱題をしっかり行う

 → 御本尊に向かい、真剣に勤行・唱題を続けることで、障害が取り除かれる功徳を得ることができます。

 

② どんな状況でも信心を貫く

 → 困難に直面したときこそ、「必ず乗り越えられる」と信じて唱題することが大切です。

 

③ 折伏(しゃくぶく)を実践する

 → 他の人に正しい仏法を伝えることで、自分自身の信心も強まり、功徳が積まれます。その結果、自分の人生の障害も取り除かれていきます。

 

④ 仏法の教えを学び、実践する

 → 御書を学び、日々の生活の中で実践することで、自然と正しい行いができるようになり、障害が少なくなります。

 

⑤ 感謝の心を持つ

 → どんな状況でも「御本尊に守られている」と感謝しながら信心を続けると、不思議と人生がスムーズに進むようになります。

 

4. まとめ

「一切無障碍」とは、 人生のあらゆる障害が取り除かれ、順調に進むこと を意味します。正しい信仰を持ち、勤行・唱題を続けることで、 どんな困難も乗り越え、すべての道が開かれる のです。

 

→ 毎日の信心を大切にし、「一切無障碍」の功徳をしっかり受けて、悩みのない幸福な人生を送りましょう!

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「家内安全(かないあんぜん)」についてわかりやすく解説

 

1. 「家内安全」とは?

「家内安全」とは、 家族みんなが健康で、仲良く、幸せに暮らせること を意味します。

      「家内」 家の中、家族のこと

      「安全」 無事で平穏であること

 

つまり、「家内安全」とは 家族が健康で、争いごともなく、平和に過ごせることを願う祈り です。

 

2. なぜ「家内安全」が大切なのか?

家庭は、私たちが生きていく上での 土台 となる大切な場所です。家族が仲良く、健康であれば、仕事や人間関係もうまくいきやすくなります。しかし、家庭に問題があると、心が落ち着かず、日常生活にも影響が出てしまいます。

 

たとえば…

      家族が病気になる

      夫婦や親子でケンカが絶えない

      経済的な困難が続く

      家庭内に不幸な出来事が起こる

 

こうした悩みが続くと、 心が乱れ、信心にも影響が出てしまうことがあります。 だからこそ、「家内安全」を願い、家庭を平和で幸せな場所にすることが大切なのです。

 

3. どうすれば「家内安全」の功徳を得られるのか?

「家内安全」を実現するためには、次のことを意識しましょう。

 

① 勤行・唱題をしっかり行う

 → 家族の幸福を願いながら、毎日真剣に勤行・唱題を続けることで、御本尊の功徳を受けることができます。

 

② 家族みんなが信心を深める

 → 家族全員が信心を持ち、御本尊に祈ることで、より強い功徳を得ることができます。もし家族が信仰に関心を持っていなくても、自分がしっかりと信心を続けることで、家族の運命も良い方向に導かれます。

 

③ 感謝の心を持つ

 → 家族に対して感謝の気持ちを忘れず、優しい言葉をかけることが、家庭の平和につながります。「ありがとう」と言う習慣を大切にしましょう。

 

④ 折伏(しゃくぶく)を実践する

 → 家族や親戚に正しい仏法を伝えることで、家の中に福運が積まれ、より安定した生活を送ることができます。

 

⑤ 家庭内での争いを避け、調和を大切にする

 → どんなに忙しくても、家族との時間を大切にし、互いを思いやる気持ちを忘れないことが、家内安全につながります。

 

4. まとめ

「家内安全」とは、 家族みんなが健康で、仲良く、幸せに暮らせること を意味します。そのためには、 毎日の勤行・唱題をしっかり行い、家族への感謝と愛情を大切にすることが重要 です。

 

→ 御本尊の功徳を信じ、家族みんなが平和で幸せに暮らせるよう、信心を深めていきましょう!

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「心願満足(しんがんまんぞく)」についてわかりやすく解説

 

1. 「心願満足」とは?

「心願満足」とは、 自分が心から願っていることが叶い、満ち足りた状態になること を意味します。

      「心願(しんがん)」 心の中で強く願うこと

      「満足(まんぞく)」 その願いが叶い、満ち足りること

 

つまり、「心願満足」とは、 自分が本当に望んでいることが実現し、幸福を感じること です。

 

2. なぜ「心願満足」が大切なのか?

人は誰でも「こうなりたい」「これを達成したい」という願いを持っています。たとえば…

      健康になりたい

      仕事で成功したい

      家族が幸せになってほしい

      経済的に安定したい

      人間関係を良くしたい

 

しかし、 努力だけではどうにもならないこともあります。 そんなとき、 正しい信心を持ち、御本尊に祈ることで、願いが叶う功徳を受けることができる のです。

 

日蓮大聖人の教えには、 「強い信心を持ち、御本尊に祈れば、必ず願いは叶う」 と説かれています。大切なのは、 「御本尊にしっかり祈ること」「諦めずに信心を続けること」 です。

 

3. どうすれば「心願満足」の功徳を得られるのか?

「心願満足」を実現するためには、次のことが大切です。

 

① 毎日しっかりと勤行・唱題を行う

 → 願いを込めて、真剣に唱題をすることで、御本尊の力を受け、願いが叶いやすくなります。

 

② 自分の願いを明確にする

 → 何を叶えたいのか、具体的に心の中で決め、それを信じて祈ることが大切です。

 

③ どんな困難があっても信心を貫く

 → 願いがすぐに叶わなくても、続けて信心を深めることで、最善の結果が訪れます。

 

④ 自分だけでなく、人の幸せも願う

 → 自分の願いだけでなく、家族や周りの人の幸福も願い、折伏(しゃくぶく)を実践することで、さらに大きな功徳を得ることができます。

 

⑤ 正しい行いを心がける

 → 信心とともに、日常生活の中でも正しい行いを続けることが、願いを叶える大きな力になります。

 

4. まとめ

「心願満足」とは、 自分の願いが叶い、幸福を感じること です。そのためには、 御本尊を信じ、毎日の勤行・唱題を大切にし、信心を貫くことが重要 です。

 

→ どんな願いも、強い信心を持ち続けることで必ず叶います!今日からさらに信心を深め、心願満足を目指しましょう!

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日蓮正宗における「大願成就」とは、単なる個人的な願いの達成ではなく、根本的には 「法華弘通」 すなわち 「正しい仏法を広めること」 を意味します。

 

日蓮大聖人は、『開目抄』において 「大願とは法華弘通なり」 と述べられています。これは、単に自己の幸せや世俗的な成功を願うのではなく、仏法を正しく弘め、多くの人々を救済することこそが、最も崇高な願いであるという教えです。

 

日蓮正宗における「大願成就」の意義

 

1. 法華弘通(正法の広宣流布)

         日蓮大聖人が説かれた南無妙法蓮華経の教えを広め、人々を成仏へ導くことが根本の願い。

 

         単なる布教活動ではなく、人々の人生や社会全体の根本的な幸福を実現することを目的とする。

 

 2. 自行化他(自らの修行と他者の救済)

         自身が正しい信仰を持ち、勤行・唱題を実践すること。

 

         その功徳をもって他者を救い、共に正しい仏道を歩むことが重要。

 

 3. 妙法への絶対的な信と実践

 

         真の大願は、個々の願い(健康・仕事・家庭の安定など)の先にある「仏法の正しい流布」にある。

 

         それゆえ、個人的な願いも、最終的には妙法の実践によって叶えられると考えられる。

 

現代における「大願成就」の実践

 

日蓮正宗の信徒にとっての大願成就とは、「南無妙法蓮華経の信仰を深め、折伏を通じて一人でも多くの人を救済し、広宣流布を進めること」 です。日々の唱題や御法主上人の指導を実践し、広布のために行動することこそが、最も意義深い願いの成就となります。

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日蓮正宗の勤行で行う「5座」の回向文の中には、「追善供養証大菩提(ついぜんくようしょうだいぼだい)」という言葉が含まれています。これは、亡くなった方の冥福を祈り、成仏を願う大切な意味を持っています。

 

「追善供養(ついぜんくよう)」とは?

「追善」とは、亡くなった方のために善行を積むことを意味し、「供養」とは、その善行を亡き人に回向することを指します。つまり、私たちが仏道修行を実践し、その功徳を故人に振り向けることで、亡くなった方がより良い境涯へと導かれることを願うものです。

 

「証大菩提(しょうだいぼだい)」とは?

「証」とは「得る」という意味で、「大菩提(だいぼだい)」とは「仏の悟り」を指します。つまり、「証大菩提」とは「仏の悟りを得ること」を願う言葉です。日蓮正宗では、大聖人の仏法に基づいて修行を積むことで成仏できると説かれています。そのため、亡くなった方が南無妙法蓮華経の功徳によって、成仏できるようにと祈るのが「証大菩提」という言葉の意味です。

 

簡単に言うと…

「追善供養証大菩提」とは、亡くなった方のために勤行・唱題をし、その功徳によって成仏できるように願うことを意味しています。私たちが真心を込めて勤行・唱題をすることで、亡くなった方はもちろん、自分自身の信心も深まり、より良い功徳を積むことができるのです。

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「回向(えこう)」とは?

 

回向とは、自分が積んだ善行(功徳)を、自分だけでなく他の人々や亡くなった方々にも振り向けることを意味します。仏教全般で用いられる言葉ですが、特に日蓮正宗では、南無妙法蓮華経の功徳を回向することによって、故人が成仏し、また私たち自身もより深い仏道修行の功徳を得られると説かれています。

回向とは、回転趣向(えてんしゅこう)の意。

 

回向の二つの意味

回向には、大きく分けて次の二つの意味があります。

 1. 自利利他の回向(じりりたのえこう)

自分が修行によって得た功徳を、他の人々や亡くなった方に振り向けること。これは「追善供養」として、故人の成仏を願う形で行われます。

 2. 因果倶時の回向(いんがぐじのえこう)

自分自身が南無妙法蓮華経の信仰によって仏道を歩み、最終的に仏果(成仏)を得ること。これは「自分が得た功徳が自らの仏道成就につながる」という意味になります。

 

日蓮正宗における回向の重要性

日蓮大聖人の仏法では、単なる冥福祈願ではなく、御本尊に対する正しい信仰と修行を通じてこそ、亡くなった方が真に成仏できると説かれています。したがって、回向の根本は、御本尊に唱題し、亡き人に妙法の功徳を届けることにあります。

 

まとめると…

回向とは、南無妙法蓮華経の修行によって得た功徳を、他者や亡くなった方に振り向けることです。特に亡くなった方に対する回向は「追善供養」として行われ、故人が成仏できるよう祈る大切な実践となります。

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日蓮大聖人の**『御義口伝(おんぎくでん)』**には、次のような御文があります。

 

「今日蓮等の類(たぐい)、南無妙法蓮華経と唱え奉るは、妙法蓮華経の力なり。此の功徳を以て一切衆生に回向す。」

 

これは、日蓮大聖人が**「私たち門下が南無妙法蓮華経と唱えるのは、妙法蓮華経そのものの力によるものであり、その功徳をもってすべての衆生に回向する」**と説かれたものです。

 

この御文の意味

 1. 「今日蓮等の類(たぐい)」

ここで「蓮等の類」とは、日蓮大聖人とその弟子・信徒のことを指します。つまり、私たち日蓮正宗の信徒も含まれています。

 2. 「南無妙法蓮華経と唱え奉るは、妙法蓮華経の力なり。」

私たちが南無妙法蓮華経と唱えることは、ただの自己の意思によるものではなく、妙法蓮華経そのものの功徳と力によるものだ、ということです。

 3. 「此の功徳を以て一切衆生に回向す。」

ここが「回向」という教えの核心です。私たちが唱題によって得た功徳を、自分だけのものにするのではなく、一切の衆生(生きとし生けるものすべて)に振り向けることが、仏道修行の根本であると説かれています。

 

この御文が示す回向の意義

 

この御文からわかるのは、日蓮正宗における回向は、単なる形式的な供養ではなく、唱題によって妙法の功徳を積み、その功徳を他の人々や亡き人々にも振り向けるという積極的な修行であるということです。

 

特に「追善供養」の場合、故人のために心から唱題し、妙法の功徳を送ることで、その方が成仏できるよう願うことが大切です。また、これは他人だけでなく、自分自身の成仏にもつながる重要な実践です。

 

まとめると…

      南無妙法蓮華経の唱題は、妙法そのものの力によるもの。

      その功徳を自分だけでなく、一切衆生に回向することが大切。

      回向は、自分のためだけでなく、他者の救済にもつながる仏道実践である。

 

したがって、私たちが勤行・唱題をし、その功徳を回向することこそが、亡くなった方々の成仏につながり、また自分自身の仏道成就にもなるということが、この御文の深い意味になります。

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日蓮大聖人は『刑部左衛門尉女房御返事』の中で、

 

「父母に御孝養の意あらん人々は法華経を贈り給うべし。」

 

と仰せになっています。これは、**「もし本当に父母に孝養を尽くしたいと願うなら、法華経を贈ることが何よりの親孝行である」**という意味です。

 

この御文の意味をわかりやすく説明すると…

 1. 「父母に御孝養の意あらん人々は」

→ 父や母に対して孝養(親孝行)をしたいと願う人は、ということです。

ここでの「孝養」は、単に生前に親を大切にすることだけでなく、亡くなった後の供養も含まれています。

 2. 「法華経を贈り給うべし。」

→ 一番の親孝行は、法華経(妙法蓮華経)を贈ること、つまり南無妙法蓮華経の信仰をもって供養することだ、という意味です。

物質的な贈り物や形だけの供養ではなく、御本尊に唱題し、その功徳を親に回向することこそが、最も尊い孝養であると教えられています。

 

なぜ法華経を贈ることが最高の孝養なのか?

      南無妙法蓮華経の功徳は、生きている親にも、亡くなった親にも及ぶ。

         生きている親には、仏道の功徳によって福徳が増し、幸せな人生を歩む助けとなる。

         亡くなった親には、妙法の功徳によって成仏への道が開かれる。

      財産や食べ物などの供養よりも、妙法の供養が最も尊い。

         物質的なものは一時的な喜びや安心を与えるだけだが、仏法の供養は永遠に続く功徳となる。

 

簡単にまとめると…

      本当の親孝行とは、単にお世話をすることだけではなく、妙法の功徳を贈ること。

      生きている親には信心を勧め、亡くなった親には唱題・回向することが、何よりの供養になる。

      日蓮大聖人は、南無妙法蓮華経こそが最高の親孝行であり、供養の本義であると教えられている。

 

したがって、私たちは日々の勤行・唱題を通じて、両親の幸福と成仏を願い、真の孝養を実践していくことが大切だということになります。

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「乃至法界平等利益 自他倶安同帰寂光」(ないしほっかい びょうどうりやく じたぐあん どうきじゃっこう)とは、勤行の回向文の最後に出てくる言葉で、**「仏法の功徳がすべての人々に平等に行き渡り、自分も他者もともに安穏となり、最終的に仏の悟りの境地(寂光土)に至る」**という意味です。

 

一つひとつの言葉の意味

 1. 「乃至法界(ないしほうかい)」

→ 「法界」とは、すべての存在、宇宙のすべてを指します。「乃至法界」とは、**「この功徳が宇宙全体に及ぶように」**という願いを表しています。

 2. 「平等利益(びょうどうりやく)」

→ 「平等」とはすべての人が差別なく、「利益」とは仏法の功徳を受けることを意味します。

**「南無妙法蓮華経の功徳がすべての人々に平等に行き渡りますように」**という意味です。

 3. 「自他倶安(じたぐあん)」

→ 「自他」は自分と他者、「倶安」はともに安穏であることを指します。

**「自分も他の人も、ともに安らぎを得ることができますように」**という願いです。

 4. 「同帰寂光(どうきじゃっこう)」

→ 「同帰」は一緒に帰る、「寂光」は仏の悟りの世界(寂光土)のことです。

**「すべての人々がともに仏の悟りの境地へ至ることができますように」**という意味になります。

 

わかりやすくまとめると…

 

この言葉は、南無妙法蓮華経の功徳を自分だけでなく、すべての人々に及ぼし、皆が幸せになり、最終的には仏の悟りの境地に至ることを願うものです。

 

つまり、**「私たちが勤行・唱題して得た功徳が、全ての人に平等に行き渡り、自分も他の人も共に安らかになり、みんなが仏の境地へと導かれますように」**という回向の心を表したものなのです。

 

これは単なる個人の幸福を願うものではなく、家族や亡くなった方々、さらには世界中の人々の幸福と成仏を願う、大きな慈悲の心を表した言葉です。

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常寂光土(じょうじゃっこうど)に帰するとは?

 

皆さん、こんにちは。今日は「常寂光土に帰する」ことについて、できるだけわかりやすくお話ししたいと思います。

 

1. 常寂光土とは?

 

「常寂光土」という言葉は、仏教の教えの中で特別な意味を持っています。簡単に言うと、それは仏様の浄らかな世界、悟りの境地のことです。常に(常)、静かで(寂)、光り輝く(光)清浄な世界(土)が広がっているという意味があります。

 

日蓮大聖人は、この常寂光土がどこか遠い場所にあるのではなく、南無妙法蓮華経を信じ、自行化他に励むことで、この世においても顕れると説かれています。つまり、私たちが御本尊を信じ、お題目を唱え、正しい信仰を実践していくことで、現世においても常寂光土の境涯を開くことができるのです。

 

2. なぜ常寂光土に帰するのか?

 

「帰する」とは、そこに落ち着き、安住するという意味です。つまり、私たちは南無妙法蓮華経の信仰によって、迷いや苦しみの世界から、悟りと安らぎの世界へと至ることができるのです。

 

現実の生活では、悩みや苦しみが絶えません。しかし、正しい信仰を持ち、お題目を唱え、修行を続けることで、たとえ苦難の中にあっても心の平安を得られ、苦しみを乗り越える力を養うことができるのです。それが常寂光土に帰するということなのです。

 

3. 具体的にどうすればいいのか?

 

では、私たちはどのようにして常寂光土に帰することができるのでしょうか?

 

① 南無妙法蓮華経を唱える(唱題)

 → 御本尊に向かい、真心からお題目を唱えることが第一歩です。

 

② 御法主上人猊下の御指南に従い、信心を深める

 → 日々の行動の中で、御指南を実践することが大切です。

 

③ 折伏(しゃくぶく)に励む

 → 迷える人々に正しい教えを伝え、一緒に信仰を深めていくことも重要です。

 

このように、正しい信仰を持ち、実践することで、私たちは常寂光土の境涯を開き、真の幸福へと至ることができるのです。

 

まとめ

 

「常寂光土に帰する」とは、南無妙法蓮華経の信仰によって、この世においても仏様の清らかな世界を顕現させ、悟りと安らぎの境地に至ることです。日々の信仰実践を通じて、私たち一人ひとりが心の中に常寂光土を築いていきましょう。

227

法華経・化城喩品に 『願わくは此の功徳を以て 普(あまね)く 一切に及ぼし 我らと衆生と 皆共に仏道を成ぜん』とあります。

 

このお経の一節は、「自分が得た功徳(良い行いによる善い結果)を、すべての人に分け与えたい。そして、自分も周りの人々も、共に仏の道を成し遂げたい」という願いを表しています。

 

たとえば、あなたが勉強や仕事を頑張って成功したとします。その成功を自分だけのものにするのではなく、その経験や知恵を周りの人にも分かち合い、みんなで成長して幸せになりたいと思う気持ちに似ています。

 

法華経では、仏道修行によって得た功徳を自分だけのために使うのではなく、周りの人々にも広く行き渡らせることが大切だと説いています。そして、みんなが共に仏の悟りを得られるように願うことこそ、仏の教えの本質なのです。

法華経(妙法蓮華経)の「開結(かいけつ)」とは、経典の始まりと終わりを示す部分のこと。

 

開経(かいきょう)

 

「無量義経」(むりょうぎきょう)

法華経の前に説かれる経典で、法華経の序文のような役割を持っています。

内容を簡単にまとめると、以下の三つの章(品)から成り立っています。

 

1. 徳行品(とくぎょうほん)

 

釈迦が霊鷲山(りょうじゅせん)で多くの弟子や菩薩たちに囲まれている場面から始まります。

ここで釈迦は、「仏の教えは一切衆生を救う無量の徳を持つ」ことを説き、「すべての法は無量の義を持つ」(だからこそ、法華経が必要)と示します。

 

2. 説法品(せっぽうほん)

 

釈迦が、これまで説いてきたさまざまな教え(五戒・十善・四諦・十二因縁など)は、それぞれの衆生の理解力に応じて分かりやすく説いたものであり、本当の究極の教え(法華経)はまだ説いていないことを明かします。

ここで、「無量義」の名の通り、仏の教えは一つの真理に基づきながらも、無限の形で説かれることが強調されます。

 

3. 十功徳品(じっくどくほん)

 

「無量義経」を受持し修行すれば、大きな功徳が得られることを説きます。

具体的には、十の功徳(智慧が増す、煩悩が減る、悟りに近づくなど)が挙げられます。

最後に、釈迦が禅定(深い瞑想)に入り、その後まばゆい光を放つ場面で終わり、これが法華経の序章へとつながります。

 

要点まとめ

      「仏の教えは無量の義を持つ」と説く

      これまでの教えは方便であり、本当の教え(法華経)がこれから説かれることを示す

      無量義経を受持すれば十の功徳が得られる

      釈迦が光を放ち、法華経へとつながる

 

無量義経は、法華経の教えを受け入れるための導入部分としてとても重要な経典です。

 

結経(けっきょう)

 

「仏説観普賢菩薩行法経」(ぶっせつ かん ふげん ぼさつ ぎょうほうきょう)

法華経の結びとして読まれる経典で、普賢菩薩の功徳や修行の重要性を説いています。

 

 

 1. 開経:「無量義経」

 2. 結経:「観普賢菩薩行法経」

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常寂光土について

 

常寂光土(じょうじゃっこうど)とは?

 

日蓮正宗において「常寂光土」とは、仏が住む清らかで永遠に変わらない世界のことを指します。この世界は、私たちが生きる現実の世界とは別の遠い場所にあるのではなく、正しい信仰と修行を実践することで、この世の中に顕れるものとされています。

 

たとえば、暗い部屋に光を灯せば、たちまち明るくなるように、私たちが正しい信仰を持ち、お題目を唱え続けることで、自分の心や生活、さらには周りの環境が清らかで安穏なものへと変わっていきます。これが、常寂光土の現れといえます。

 

日蓮大聖人は、私たちが南無妙法蓮華経を唱え、仏道を実践することで、今いる場所がそのまま仏の世界(常寂光土)になると説かれました。つまり、常寂光土は特別な遠い世界ではなく、信仰と修行によって、この現実の中に築いていくものなのです。

 

3月より、方便品と寿量品の文々句々の解説をします。