9月


1日


「帰とは我等が色法なり、命とは我等が心法なり。色心不二なるを一極(いちごく)と云ふなり」                     (就註法華経口伝(御義口伝) 上 一七一九)

 

「帰」とは、われわれの色法を意味する。「命」とは、われわれの心法を意味するのである。この色法すなわち肉体・物質と、心法すなわち精神・心の働きが不二であると説く、日蓮大聖人の色心不二の生命哲学こそ、最高唯一の哲学なのである。この日蓮大聖人の、大宗教に帰依することによって、成仏の境涯、すなわち、色心ともに、絶対の幸福確立をなすことができるのである。

従来の哲学は、唯物論か、唯心論かに偏(かたよ)って互いに争ってきたが、日蓮大聖人の仏法では、色心不二(しきしんふに)の生命哲学を根本とする。

 

このように色心は、二にしてしかも不二である。精神と肉体は、二にしてしかもその当体は、一人の生命であるがゆえに不二である。


2日


「夫(それ)十方は依報(えほう)なり、衆生は正報(しょうほう)なり。依報は影のごとし、正報は体のごとし。身なくば影なし、正報なくば影なし、正報なくば依報なし。又正報をば依報をもて(以)此をつくる」                        (瑞相御書 九一八)

 

十方は依報である。衆生は正報である。依報は、たとえば影であり、正報は体である。身がなければ影はない。と同じく正報がなければ依報もないのである。また、その正報は、依報をもってその体を作る。

 

此の瑞相御書は、建治元年(一二七五年)、五十四歳の時に書かれたものです。

 

 内容は、仏が法華経を説くにあたって起こった瑞相を取り上げ、末法流布の付嘱の儀式である神力品の際の瑞相がひときわ勝れていることを指摘されています。そして、特にこの瑞相の中でも大地が動いたというは、人の六根を動ずることの象徴であり、末法に妙法を弘めることが、いかに大きい波動を起こすものであるかを、現実の様相をあげて示されています。


3日


「日蓮一人、阿弥陀仏は無間(むけん)の業(ごう)、禅宗は天魔(てんま)の所為(しょい)、真言(しんごん)は亡国の悪法、律宗持斎(じさい)等は国賊なりと申す」

(秋元御書 一四四八)

 

四箇の格言とは、「念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊」というように、四宗の教義の誤りを簡潔に破折した言葉をいいます。

 

 大聖人は、『建長寺道隆への御状』に、

 「念仏は無間地獄の業、禅宗は天魔の所為、真言は亡国の悪法、律宗は国賊の妄説」  (御書 三七五㌻)と仰せのように、四宗の邪義・邪法の特徴を明快に指摘し破折されています。

 

 天台が『法華玄義』に「法華は折伏にして権門の理を破す」と説いているように、四箇の格言の意義は法華経の教えに基づく大聖人御一代の御化導そのものであり、また滅後における宗門の折伏の根本精神です。

 

 始めの「念仏は無間地獄」とは、念仏宗(浄土宗・浄土真宗等)では、浄土三部経を依経として法華経を「捨てよ・閉じよ・閣(さしお)け・抛(なげう)て」と蔑(さげす)み、娑婆世界のこの世に縁のない西方極楽浄土の阿弥陀仏を本尊とし、浄土往生を説き、称名(しょうみょう)念仏の修行をしています。

 これは娑婆世界の主師親である教主釈尊に背く大罪であり、無間地獄に堕()ちることは必定のゆえに、大聖人は「念仏無間」と喝破されたのです。

 

 次に「禅宗は天魔の所為」とは、禅宗(臨済宗・曹洞宗等)では、仏の真実の教えは文字を立てず(不立文字)、摩訶迦葉(まかかしょう)に教えの外に別に伝えた(教外別伝)として「以心伝心」「即心即仏」を主張しています。

 しかし、『涅槃経』に、「仏の所説に随わざる者有らば、当(まさ)に知るべし、是れ魔の眷属なり」とあるように、禅宗は仏の説いた教典を捨て去り、蔑(ないがし)ろにし、その高慢心は仏法破壊の第六天の魔王の所業であるところから「禅天魔」と仰せられたのです。

 

 そして「真言は亡国の悪法」とは、真言宗では、釈尊出世の本懐(ほんがい)である最第一の法華経を第三の戯論(けろん)と下して真言三部経を依経とし、また、娑婆有縁の教主釈尊を排して単なる理の上の法身仏である大日如来を本尊と立てて鎮護国家を標榜しています。

 しかし、これは国に二王(におう)を立てるに等しく、このような主客顛倒の教えを根本とすれば、その祈りはかえって家の柱、国の柱を倒して亡国の因となります。ゆえに「真言亡国」と断ぜられたのです。

 

 最後の「律宗は国賊の妄説」とは、律宗では、小乗教の二百五十戒などの戒律を根本の教義とし、この戒律を守ることによって国師として清浄を装い、自ら国の宝であると称しています。

 しかし、仏の教えにおいては、末法には戒律は無益・無用であり、現実から遊離した教えこそ、かえって人心を惑(まど)わせ、国に害を与え破滅に導くばかりです。大聖人は、この国師と称する悪師を「律国賊」と破()されたのです。

 

 これら四箇の格言は、破邪顕正し、正法を弘通していくために忘れてはならない伝統法義です。

(大白法 484号)

 

 


4日


「人身は受けがたし、爪の上の土。人身は持(たも)ちがたし、草の上の露。百二十まで持ちて名をくた(腐)して死せんよりは、生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ」                                     (崇俊天皇御書 一一七三)

 

通解

人間として生を受けることはまれであり、爪の上に乗った土のようにごく少ない。

人間として命を持ち続けることは難しく、草の上の露のようにはかない。

百二十歳まで生きて名を汚して死ぬよりは、生きて一日でも名をあげることこそ大切です。

 

苦境の中で戦う四条金吾に、大聖人は掲げた御文の冒頭、人として生まれ、生きることは「爪の上の土」のように稀であり、「草の上の露」のように、はかないと述べられます。

 

 

人生の一瞬一瞬はかけがえのないものであり、だからこそ、「名をあげる」生き方が大切だと仰せです。

ここで仰せの「名をあげる」とは、単に社会的に偉くなったり、有名になったりすることではありません。

大聖人は続く御文で、“主君に仕えることにおいても、仏法に尽くすことにおいても、

世間に対する心掛けにおいても、人々から素晴らしいと、たたえられる人になっていきなさい”と述べられます。

 

 


5日


「日蓮は日本第一の法華経の行者なり。すでに勧持品の二十行の偈の文は日本国の中には日蓮一人よめり。」   

 (寂日房御書 一三九三)

 

「日蓮は日本第一の法華経の行者である。法華経勧持品の二十行の偈の文はすでに日本国のなかでは日蓮一人が読んだのである」

 

日蓮大聖人が御自身、末法の御本仏であることを明かされている。ここは、きわめて重要な一節といってよい。

 

 まず「すでに勧持品の二十行の偈()の文は日本国の中には日蓮一人よめり」といわれている。ここで「よめり」とは、ただたんに口で誓言を発したのでなく、身・口・意の三業をもって経文どおりに読み、修行されたことをいわれている。これに対して、法華経の会座において勧持品の二十行の偈を説いたもろもろの迹化の菩薩達は、「口には宣(のべ)たれども修行したる人一人もなし」です。

 

 法華経の行者とは、法華経の教説に従い、身をもって修行し、法華経を弘通する人のことである。そのことを具体的に法華経の勧持品第十三の文と引きくらべて「日蓮一人よめり」といわれる理由を示します。

 

 

 勧持品の二十行の偈では、仏の滅度の後、恐怖悪世(くふあくせ)の中において法華経を広く説く時、〝三類の強敵〟があらわれることが説かれている。その一、俗衆増上慢とは「諸(もろもろ)の無智の人の 悪口罵詈(あっくめり)等し 及び刀杖(とうじょう)を加うる者有らん 我れ等は皆な当(まさ)に忍ぶべし」との箇所にあたっている。妙楽大師がこの文を釈した「初めの一行は通じて邪人を明す。即ち俗衆なり」との文を引き、大聖人は「此の一行は在家の俗男俗女が権教の比丘等にかたらはれて敵(あだ)をすべしとなり」(六㌻)と述べられています。


6日


「日蓮は一閻浮堤(いちえんぶだい)第一の聖人なり」

(聖人知三世事 七四八)

 

本抄は、大聖人様が五十三歳の御時、佐渡配流を終え身延に入られた文永十一(一二七四)年十一月に認められた御書です。古来、対告衆は富木常忍殿とされており、御真蹟は中山法華経寺に蔵されています。

 本抄が認められる一カ月前の十月五日、文永の役といわれる第一回目の蒙古の襲来がありました。大聖人様は、これまで経証に照らして、謗法の蔓延により、日本国に 自界叛逆難と他国侵逼難が必ず起こるべきことを、命を賭として警醒(けいせい)し続けてこられました。そして、文永九(一二七二)年に二月騒動(北条時輔の乱)として現れた自界叛逆難に続き、他国侵逼難も蒙古の襲来として現実のものとなったのです。このように、予言がすべて適中したことにより、大聖人様は本抄を認められたのです。

 

 まず第一に、大聖人様こそ一閻浮提第一の聖人であるということです。

 大聖人様は『立正安国論』をはじめとする各御書で、正嘉の大地震や文永の大彗星等、競い起こる三災七難の根源が、法華経に背く念 仏・禅・真言・律等の謗法の蔓延にあること、そしてこのままではさらに自界叛逆・他国侵逼の二難が必ず起こることを説かれ、忍難弘教に身を挺してこられました。このうち、自界叛逆難は文永九年の二月騒動としてすでに現れ、残る他国侵逼難も、本抄述作の直接の原因となった蒙古の襲来として現実のものとなったのです。このように、予言がすべて適中したことより、大聖人様は本抄を著し、日蓮こそ兼知未萠(けんちみぼう)・閻浮提第一の聖人であるとの境界を披瀝ひれきされたのです。

 

(大白法・平成12年5月1日刊 第548号より転載)

7日


「仏法に於いて大小・権実・前後のおもむきあり。若し此の義に迷ひぬれば、邪見に住して、仏法を習ふといえども還りて十悪を犯し、五逆を作る罪よりも甚だしきなり」

(星名五郎太郎殿御返事 三六三)

 

仏教には大小・権実等の違いや、前後の段階などの正邪の判断基準があり、これに迷うと仏教を学びながら、かえって大重罪を作ることになるから、仏道を志す人は必ずこれらの筋道を知らなければならないと示されます。

 次に、邪正を明らかにするには、凡眼・凡智ではなく経文と仏智等によって仏勅を重んじるべきであり、天台大師、伝教大師も経文によって『法華経』が中心であることを定められたと述べられます。

 しかし、当時の僧俗は皆この判断基準に依らないために、念仏や真言等の権教・邪義を尊信して、大乗妙典である『法華経』を謗そしり捨てているから地獄に堕おちるのであると説かれます。

 そして念仏・真言は、法は権教・邪義であり、人は邪見・謗法であるとされ、特に真言宗に対してその邪義を破折されます。

 

 本抄では、特に真言の邪義を破折されております。その破折の判断基準は、  「但し委しく尋ね見れば、仏法に於て大小・権実・前後のおもむきあり」 等と仰せのように、仏教には勝劣・浅深等の筋道があるため凡眼・凡智に依るのではなく、必ず経文に示された仏智・仏勅に依らなければならない、ということです。

 そもそも八万法蔵ともいわれる膨大な一代仏教は皆釈尊の説教ですが、その化導の次第と教理の内容には一貫した筋道があります。天台大師は、これを五時八教として分類されたのです。

 すなわち、華厳時、阿含時、方等時、般若時、法華・涅槃時の五時であり、真言宗や念仏宗が依りどころとする経典は、このなかの方等時に位置する方便の権大乗の教えなのです。

 このような、釈尊の化導の全体観を弁わきまえないで、時も機根も外れた方等時の経典をもって末法の衆生を救おうとしても、悉く釈尊の真意に外れることになります。ここをもって邪義・邪見・謗法といいます。

 しかるに、念仏・真言等の邪師は、自宗所依の経に執着を起こすため、これを正統化しようとしてさまざまな粉飾を施します。本抄における大聖人様の破折は、このような真言の粉飾を暴あばき、破折されたのです。

(大白法・平成9年11月1日刊 第489号より転載)

 

 


8日


「只此の経を持(たも)ちて南無妙法蓮華経と唱えて「正直捨方便、但説無上道」と信ずるを諸法実相の開会(かいえ)の法門とは申すなり」

(四条金吾殿御返事 八九三)

 

この法華経(御本尊)を持(たも)って、南無妙法蓮華経と唱えて「正直に方便の教えを捨てて、但(ただ)無上道を説く」との経文を信じることを、諸法実相の開会の法門というのである。そのわけは、法華経は、釈迦仏、多宝如来、十方三世の諸仏を証人として説かれているからである。

 

当時、天台宗においては、法華経によって開会した後は爾前の諸経を読誦しても、いかなる仏をあがめても、所詮帰するところは同じであって、そこに優劣はないと唱えて権実雑乱(ごんじつぞうらん)の邪義に陥っていた。大聖人は、それを破し、実践論の上から、真実の諸法実相の開会の法門とは、三大秘法の御本尊を持(たも)って、他の一切の法門を捨て、ただ御本尊のみが正しいと信じ、南無妙法蓮華経と唱えることであると述べられている。

 

 私たちは本抄を拝して、たとえ智慧、才覚がなくとも、信ずる法が御本仏御所持の妙法であり、三世諸仏が師とする最勝最尊の御法体ですから、真心からの信心唱題によって、即身成仏を必ず成し遂げることができることを確信すべきです。

 そして、この尊い御法を受持信行に励むことのできる境界に、心からの感謝と喜びを忘れてはなりません。そしてさらに、  「『一心に仏を見たてまつらんと欲して自ら身命を惜しまず』云云。日蓮が己心の仏果を此の文に依って顕はすなり」(義浄房御書 御書 669頁) との御指南を拝し、不惜身命の信心修行こそが、真の名字即の修行であるとの自覚のもと、令法久住、広宣流布を願う真剣な唱題に励み、地涌の菩薩の眷属としての使命に立った力強い折伏行に精進していこうではありませんか。

(大白法・平成8年4月1日刊 第452号より転載)

 


9日


「日蓮は日本国の人々の父母(ぶも)ぞかし、主君ぞかし、明師ぞかし。是を背かん事よ」                             (一谷入道女房御書 八三〇)

 

本抄には『開目抄』と同様に、 「日蓮は日本国の人々の父母ぞかし、主君ぞかし、明師ぞかし。是を背かん事よ」 と、明確に主師親三徳をお示しになられていることです。大聖人様は末法の一切衆生の父母であり、主君であり、明師にまします御本仏であられることを肝に銘じなければなりません。

 そして、私たちはこの大聖人様の大法を、一器の水を一器に瀉うつすが如く、今日に伝持あそばされる御法主日如上人猊下に信伏随従し奉り、「是を背かん事よ」の御金言を忠実に守って、日々唱題行を根本に、折伏・再折伏に精進していくことが肝要です。

 私たちは、確かな信行によって自らの堕地獄を免れることはできるとしても、謗法の人たちをそのままにしておいてはならないのです。彼らは謗法の罪によって、後生に地獄に堕ちるだけでなく、今生にも大きな災難を招くことは、「ニセ本尊」配布直後の阪神・淡路大震災において、信じ難いほど多数の学会員が悲惨な死を遂げたことからも明らかです。

 世の中に充満する謗法を止めるためには、自らが弛まざる唱題行によって大慈悲の心を起こし、折伏・再折伏に邁進していく以外にありません。

(大白法・平成9年5月1日刊 第477号より転載)

 

 


10日


「つるぎ(剣)なんども、すすま(進)ざる人のためには用ふる事なし。法華経の剣は信心のけなげ(健気)なる人こそ用ふる事なれ。鬼にかなぼう(鉄棒)たるべし。

(経王殿御返事 六八五)

 

剣なども、進まない人のためには何の役にも立ちません。法華経(御本尊)の剣は、信心の強い人が用いてこそ、役に立つのです。まさに鬼に金棒なのです。

 

日蓮大聖人は本抄で、御本尊を強く信じ、祈り抜いていくならば、必ず諸天善神の守護があることを教えられています。

 その上で、「但(ただ)し御信心によるべし」と、御本尊の偉大な力用(りきゆう)を引き出すのは、どこまでも、受持する人の「信心」によると仰せです。

 御本尊を受持し、題目を唱えるということは、あらゆる障魔を打ち破り、宿命を断ち切る「剣(つるぎ)」を持っていることであるといえます。

 しかし、臆病や不信から、広宣流布のための行動を起こさない「すすまざ(不進)る人」は、その力を十分に発揮することができません。

 

「信心のけな()げなる人」――何があっても御本尊に祈り、勇気を奮い起こして行動する人こそが、「法華経の剣(つるぎ)」の無限の力を発揮できる。大聖人は、このことを〝鬼に金棒〟とまで仰せです。大切なのは、御本尊を信じ、自身の可能性を信じ、〝絶対に乗り越えてみせる〟と決めて、勇んで挑戦していくことです。さあ、今日も信心根本に、勇気の一歩を踏み出しましょう!


11日


「三世の諸仏の大事たる南無妙法蓮華経を念ずるを持(たも)つとは云うなり」

(四条金吾殿御返事 七七五)

 

三世の諸仏の大事である南無妙法蓮華経を念ずることを持つというのである。法華経勧持品第十三には「仏の所属(南無妙法蓮華経)を護持する」といっている。天台大師は法華文句巻八では「信力のゆえに受け、念力のゆえに持つ」といっている。また法華経見宝搭品第十一には「法華経は持ちがたい。もし暫くも持つ者は、我れ(釈尊)即ち歓喜する。諸仏もまた歓喜するのである」と説いている。

 

「法華経の持者の生活、境涯は『現世安穏にして後に善処に生ぜん』と聞き、信受してきたにもかかわらず、なぜ大難が雨のように降るのか」という質問に対して、法華経に「此経難持」「難信難解」と説かれていることが正しい証明で、大難が起これば起こるほど、正法であることを確信し、持ち続けるとき「無上の仏道」が得られる。そのためには、三世の諸仏の大事たる南無妙法蓮華経を念ずることが大切である。したがって、この妙法を持つには、もともと持ち難い法であると心を決めて持つことが大事である等と答えられている。

 

 受くるはやすく持つはかたし。さる間、成仏は持つにあり。此の経を持たん人は難に値()うべしと心得て持つなり。「則(すなわ)ち為()れ疾()く無上の仏道を得」は疑(うたがい)なし

 

 御本尊を受持する基本姿勢が説かれている。大聖人は、ここで、なぜ「受」がたやすく、「持」が至難であると仰せなのであろうか。本来、受けること自体も難しいが、とりわけ持ち続けることはそれ以上に難しく、生涯にわたる持続は、さらに至難であるからだ。それゆえ、受持の中でもとくに「持」に重点を置いて、「持つはかたし」と仰せなのである。

 また、御本尊を受持する者には、必ず難が起こる。難とは、信仰をさせまいとする外的障害である。この難に容易に振り回され、なかなか信心を持ち続けることが困難である故に「持つはかたし」といわれたのである。

 

 だが、難を乗り越えてこそ成仏がある。いかなる難に対しても、御本尊を唯一絶対と信受し、実践するときに成仏がある。決局、持つことの厳しさを心得て、いかなる事態にも御本尊を受持しきるときに、そのまま最高の境涯を築くことができるのである。


12日


「日蓮といゐし者は、去年(こぞ)九月十二日子丑(ねうし)の時に頸(くび)をはねられぬ。 此は魂魄(こんぱく)佐士の国にいたりて、返る年の二月雪中にしるして、有縁(うえん)の弟子へをくれば、おそ(怖)ろしくてをそ(恐怖)ろしからず。み(見)ん人、いかにを(怖)じぬらむ」                                                    (開目抄 下 五六三)

 

(解説)

 「日蓮というものは去年の九月十二日子丑(ねうし)の時にくびをはねられた。すなわち凡夫の肉身は竜の口において断ち切られ、久遠元初の自受用報身如来と顕われて、佐渡の国へいたり、翌年の二月「開目抄」を著述して、雪の深い佐渡の国より、鎌倉方面の有縁の弟子へ送るのである」

 「この御抄を拝する弟子たちは、濁劫悪世に法華経を弘通する大難を思うて、怖()じ恐れるであろう。しかし日蓮は【われ身命を愛せず、ただ無上道をおしむ】の法華経の行者であるから、なにひとつ恐れるものもなく、かつ日蓮と同じく広宣流布の決意をかたく持っているものは絶対に恐怖がないのである」

 

竜口(たつのくち)法難において、名字凡夫の大聖人の御身の当体が、そのまま久遠元初(くおんがんじょ)の自受用身(じじゅゆうしん)となられ、末法下種の本仏と発迹顕本(ほっしゃくけんぽん)されたのです。この頚の座の子丑の時は名字(みょうじ)凡身の大聖人の死の終わりなので、頚を刎(は)ねられたと仰せられ、寅の時は久遠元初の自受用身の生の始めなので、魂魄と仰せなのです。

 

このように、丑寅の時刻は仏が悟りを開く時で、仏法上、まことに深い意義を持つ時刻なのです。


13日


「此の女人をば影の身にそうがごとくまぼり給ふらん。日本第一の法華経の行者の女人なり。故に名を一つつけたてまつりて不軽菩薩の義になぞらえん。日妙聖人等云々(とううんぬん)」                               日妙聖人御書 (六〇六~六〇七)

 

(通解)

 

「釈迦仏、多宝仏、十方分身の諸仏、上行菩薩、無辺行等の大菩薩、大梵天王、帝釈天王、四天王等が、この女人を影が身に添うように守られるであろうことを知りなさい。あなたは、日本第一の法華経の行者の女人である。それゆえ名を一つ付けて不軽菩薩の義になぞらえよう。「日妙聖人」等と」

 

本章では、仏法を求めて、はるばる旅をしなければならない時があり、それも一つの時にかなった実銭であるとの立場から、日妙聖人が佐渡に大聖人を訪ねてきたことを、心から讃歎されている。

 

「不軽(ふきょう)菩薩の義になぞらえん」とは、不軽菩薩が四衆(ししゅ)を心から敬い礼拝し、不軽という名を得たのにならおうということである。大聖人は、一人で鎌倉から佐渡へ、ひたすら求道の真心で旅してきたこの女性に対し、心からなる敬意を払われているのである。

 そこには、その信心において出家と在家という差別意識も、師と弟子という上下意識もない。ただ、どこまでも仏法を求める真心の信心をみて、それに対して、真底から尊敬の意を示されているのである。

 

 


14日


「人の身には同生同名と申す二(ふたり)のつか(使)ひを、天生るゝ時よりつけさせ給ひて、影の身にしたがうごとし須臾(しゅゆ)もはなれず、大罪・小罪・大功徳・小功徳すこしもおとさず、遙々(はるばる)天にのぼ(上)て申し候と仏説き給う」

(同生同名御書 五九六)

 

(通解)

「人の身には同生同名という二人の使いを天はその人が生まれた時からつけられており、この二人の神は影が身に随うように、寸時も離れず、その人の大罪・小罪・大功徳.・小功徳を少しもおとすことなく、かわるがわる天に昇っていって報告していると仏は説かれている」

 

同生同名(どうしょうどうみょう)

 この同生天・同名天は、人が生まれたときから、つねに両肩にあって瞬時も離れず、その行動の善悪を記して天に報告し、その人を守護するので俱生神(くしょうじん)ともいう。華厳経巻六十には、「人の生じ已(おわ)れば則ち二天有りて恒(つね)に相い随逐(ずいちく)す。一を同生と曰()い、二を同名と曰う。天は常に人を見れども人は天を見ざるが如し」とある。吉蔵(きちぞう)の無量寿経義疏(ぎしょ)では、同生は女神(めがみ)で右肩にあって悪業を記録し、同名は男神(おがみ)で左肩にあって善業を記録するとあるが、異説もある。

さて、この二神は生命論からいうならば、生命自身のもっている因果の理法をあらわしている。すなわち、われわれの善悪にわたる一念、振る舞いは、誰もが知らなくても、すべて自己の生命に刻まれ、必ず善悪の報いを受けていくことを意味しているのである。この生命の厳しい因果律は仏法が明かした根本的な原理である。

 これを簡単にいうと、前世の業が今世における果報となる。また今世の業が来世における善悪の果報の原因となるということでもある。

 

 


15日


「此の曼荼羅(まんだら)は文字は五字七字にて候へども、三世諸仏の御師、一切女人の成仏の印文なり。冥途(めいど)にはともしびとなり、死出(しで)の山にては良馬(め)となり、天には日月(にちがつ)の如し、地には須弥山(しゅみせん)の如し。生死海の船なり。成仏得道の導師なり」

(妙法曼荼羅供養事 六八九)

(通解)

 「この曼陀羅は、文字は五字七字であるけれども、三世諸仏の御師であり、一切の女人の成仏を約束する印文である。冥途ではともしびとなり、死出の山では良馬となる。天にあっては、日月のようであり、地にあっては須弥山のようなものである。生死の苦海を渡る船である。成仏得道に導く師である」

 

『解説』

此の曼陀羅(南無妙法蓮華経)は、文字は五字あるいは七字である。しかし、この文字が法華経の肝心であり、そのなかに一念三千の原理を含むのである。三世の諸仏もこの南無妙法蓮華経を悟って仏になることができたのであり、その意味で「御師」である。また、女人成仏は法華経にのみ説かれた法門であり、「女人の成仏の印文」であることも疑いない。

この南無妙法蓮華経を一幅の御本尊と顕されたことによって、仏法は一切衆生のものとなったともいえる。難解な法門に迂遠きわまる修行で迫るというのでは、大衆は仏法から遠ざかるばかりであろう。五字七字のなかに一切をおさめ、それを御本尊と顕して、これを対境とする唱題によって冥合をはかっていく大聖人の仏法こそ真実の世界の人類の仏法といえよう。

 

三世の諸仏は法華経の肝心である妙法蓮華経の五字を師として仏に成ったのであり、この五字七字の御本尊のみが、衆生成仏の導師であると御教示されています。

末法の今、三大秘法の大白法を建立し、弘通されるのは、大聖人御自身であることを明示されています。まことに御本仏の民衆救済、大慈大悲の忍難弘教のお振る舞いに、感激の涙が溢れます。

 

 【曼陀羅】

 梵語マンダラ(Maṇḍala)の音写。曼荼羅などとも書き、信仰の対象として諸仏を総集して図顕したものを曼陀羅というようになった。本尊のこと。菩提道場のこと。釈尊が成道した菩提座、及びその周辺の区域。壇のこと。仏像等を安置して供物・供具などを供える場所。密教では本質、心髄などを有するものの意から、仏内証の菩提の境地や万徳具足の仏果を絵画に画(えが)いたものをいう。本抄の場合は、日蓮大聖人の出世の本懐である事の一念三千の御本尊のことです。

 

【冥途(めいど)

 冥土とも書く。亡者が迷っていく道、死後の世界。主として地獄、餓鬼、畜生の三途(さんず)をさす。その暗さは闇夜のようなものであり、前後左右が明らかでないという。

 

【死出(しで)の山】

 冥途にある山。高く険しい山で獄卒に追われて登るが剣のごとくとがった岩でできており、獄卒に鉄棒で打たれるという。

 

【須弥山】

 古代インドの世界観で世界の中心にあるとされる山。古代インドの世界観によると、この世界の下には三輪(風輪・水輪・金輪)があり、その最上層の金輪の上に九つの山と八つの海があって、この九山八海からなる世界を一小世界としている。須弥山は九山の一つで、一小世界の中心であり、高さは水底から十六万八千由旬といわれる。須弥山の周囲を七つの香海と金山(こんせん)とが交互に取り巻き、その外側に鹹水(かんすい)(塩水)の海がある。この鹹水の中に閻浮提(えんぶだい)などの四大州が浮かんでいるとする。

 

【生死海(しょうじかい)

 生死の苦しみのこと。六道に輪廻して解脱することのない生死の苦しみが、海のように深く果てしないところから、生死海、生死の苦海という。

 

 

(大白法・平成12年12月1日刊 第562号より抜粋転載)


16日


「日蓮が法門は第三の法門なり。世間に粗(ほぼ)夢の如く一・二をば申せども、第三をば申さず候。第三の法門は天台・妙楽・伝教も粗之を示せども未だ事了(お)へず。所詮末法の今に譲り与へしなり。五五百歳は是なり。」

(常忍抄 一二八四~一二八五)

 

「日蓮の法門は第三の法門である。世間においては、あらあら夢のように第一、第二については述べているけれども、第三の法門については述べていない。

 第三の法門は、天台大師や妙楽大師や伝教大師もあらあらこれを説き示しているけれども、いまだ説ききっていない。結局、末法の今に譲り与えたのである。五五百歳というのはこれである」

 

五五百歳

 末法の初めのこと。

 

「第三の法門」とは日蓮大聖人独自の正義であり、天台大師の教域の全く及ばぬところであるゆえに「日蓮が法門」といわれているのである。

天台・妙楽・伝教も粗(ほぼ)之を示せども未だ事了()えず」とは、天台大師・妙楽大師・伝教大師は、ともに内鑑冷然(ないがんれいねん)で、「第三の法門」種脱相対を内心では知っていたけれども、時なく機なく付嘱もないゆえ、内証の自行として、南無妙法蓮華経を唱えはしても、外用の化他のうえでは、妙法の名字を替えて止観と号し、一念三千の法を説いたに留まったのである。

 

 


17日


「寿量品の一品二半は始めより終わりに至るまで正しく滅後の衆生の為なり。滅後の中には末法今時の日蓮等が為なり」              (法華取要抄 七三五)

 

本抄において大聖人様は、一往、法華経は在世の衆生の成仏のために説かれたように見えるが、再往は末法の衆生のためであることを明かされ、多宝如来の証明や諸仏の広長舌相、釈尊が地涌の菩薩を召したのも、大聖人様御自身のためであることを、御本仏としての甚深の境界の上から御教示されています。

 

 宗旨建立以来の忍難弘通によって、法華経を身読せられた大聖人様は、秘奥の法門である三大秘法を身延入山の第一声として本抄に初めて説き出されました。そして、末法の衆生は、この法華経の肝要、末法弘通の法体たる三大秘法の南無妙法蓮華経に帰依すべきことが明かされています。


18日


「彼の時鳥(ほととぎす)は春ををくり、鷄鳥(にわとり)は暁をまつ。畜生すら猶(な)をかくのごとし。何に況(いわ)んや、仏教を修行せんに時を糾(ただ)さヾるべしや」                                     

     (撰時抄 八三四)

 

大聖人様は本抄の冒頭、仏法を学ぶ方法について、まずは時を習うことが肝要と明示され、時を待った大通智勝仏や釈尊、弥勒ろ菩薩などの事例を挙げて仏法の修行者は時を糾すべきであると説かれます。

 そして、寂滅道場(華厳経)において上根の大菩薩にも説かれなかった二乗作仏・久遠実成・即身成仏・一念三千(法華経)を、霊山会上にて不孝・謗法の阿闍世王や提婆達多などに対して説かれたことを示し、それは衆生の機根の熟不熟によるのではなく、説示される時が至ったためであると明かされます。

 次いで、機根ではなく時を判断基準として説くべき道理を法華経や天台等の文証を挙げて説かれます。

 次に、いかなる時に法華経を説くべきかとの問いを設けられ、仏眼を借りて時機を考え、仏日をもって国を照らせと仰せられ、大集経の滅後における五箇の五百歳の経文を引かれます。

 

この〝時〟の意味するところ、その大事をよくよく観じることがいかに肝心なことであるかを拝し、またその因縁宿習をも拝することも大事大切なことであります。そうした時の流れのなか、宿世の因縁という言葉がありますように、私たちは日頃から過去世よりの因果の法則に従って現当二世に亘る果報を受けるのであり、その因縁宿習を決して軽々しく考えてはならないのであります。

 

 


19日


「過去・現在の末法の法華経の行者を軽賤(きょうせん)する王臣・万民、始めは事なきやうにて終(つい)にほろ(亡)びざるは候はず、日蓮又かくのごとし」

(聖人御難事 一三九七)

 

「過去および現在の、末法の法華経の行者を軽蔑したり、賎しんだりする国王や臣や万民は、はじめは何事もないようであるが、必ず最後には滅亡の悲運に堕ちないものはない。

 日蓮もまたその通りである」

 

【過去現在の末法の法華経の行者】

 ある仏の教えや、その徳がもはや人々を導く力を失った時を末法という。その時に、真実の仏法をかかげ、その仏法の力によって人々を導こうとする実践者が「末法の法華経の行者」である。そのような〝法華経の行者〟は釈尊の場合の末法に限らず、過去のあらゆる仏の滅後にあらわれたので、「過去現在の末法の法華経の行者」といわれたのである。

 


20日


「法華経は種(たね)の如く、仏はうへての如く、衆生は田の如くなり。若し此等の義をたがへさせ給はヾ日蓮も後生は助け申すまじく候」

(曾谷殿御返事 一〇四〇)

「法華経は種のようであり、仏は植え手のようであり、衆生は田のようである。 もしこれらの義を間違えるならば、日蓮も貴殿の後生を助けることができないであろう」

 

この御文の「法華経は種の如く仏はうへての如く衆生は田の如くなり」との仰せと照らし合わせて、日蓮大聖人の末法の衆生に対する無辺の大慈悲を深く肝に銘じていきたいものです。と同時に最後に説かれた「若し此等の義をたがへさせ給はば日蓮も後生は助け申すまじく候」との厳しい戒めを守り、〝本従の師〟を間違えて他の仏・他の師・他の法に迷って地獄に堕ちることなきよう、常に自身の成仏に対する用心をしていきたいものです。                                                

 


21日


「生死の長夜(じょうや)を照らす大灯、元品(がんぽん)の無明(むみょう)を切る利剣(りけん)は此の法門には過ぎざるか」  

(諸経と法華経と難易の事 一四六八)

 

 

 「生死の悩みや苦しみという長い夜を照らすほどの大きな燈明、衆生の元品の無明(生命が迷っている状態)を断ち斬り、本来持っている仏性を開く利剣は、この法門をおいて他にはないのである」


22日


「一遍も南無妙法蓮華経と申せば、法華経を覚りて妙法(にょほう)に一部をよみ奉るにてあるなり。十遍は十部、百遍は百部、千遍は千部を妙法によみ奉るにてあるべきなり。かく信ずるを如説修行の人とは申すなり」                   (十如是事 一〇五~一〇六)

 

日蓮大聖人は、妙法蓮華経に具そなわる絶大な功徳をもって即身成仏出来る経の力をこのように称えられますが、それを浅識に、南無妙法蓮華経と一度でも唱えれば即座に成仏する、もうしたのだと錯覚し、慢心を起こして精進しないならば、それはただの観念であって、日蓮大聖人の事行の南無妙法蓮華経、生きた仏法を信仰している人とは言えません。

 

(大白法・平成9年5月16日刊 第478号より転載)


23日


「我等衆生死する時塔婆を立て開眼(かいげん)供養するは、死の成仏にして草木成仏なり」                         (草木成仏口決 五二二)

 

「我等衆生が死んだ時に塔婆を立てて開眼供養をするが、これが死の成仏であり非常草木の成仏である」

 

語訳

草木成仏

 非情(心・情のないもの)の草木や国土等が成仏すること。非情成仏・無情成仏ともいう。草木成仏の実義は天台大師所立の一念三千の法門にある。すなわち、三千の法数に国土世間が包含されており、非情の国土も十界の差別を現ずることが明かされた。妙楽大師は金剛錍(こんごうぺい)を著し、華厳の澄観の立てた非情無仏性の説を破して、「一草・一木・一礫(りゃく)・一塵(じん)、おのおの一仏性、おのおの一因果ありて、縁了を具足せり」と述べている。

 

有情非情

 有情は、感情や意識をもっているすべての生類の総称。梵語の薩埵(さつた)=サットゥヴァ(sattva)の訳で、広義には仏を含めた一切の生きものの意。非情は、無心のもの、喜怒哀楽の情のないもの、感覚のないものの意で、木石の類等をさす。

 

 

「草木成仏」については、大変難しいお話しです。深く勉強される方は御書の草木成仏口決 五二二頁を拝読して下さい。


24日


「合掌とは法華経の異名なり。向仏とは法華経に値(あ)ひ奉るを云うなり。 合掌は色法(しきほう)なり、向仏は心法なり。 色心二法妙法と開悟するを歓喜勇躍(かんぎゆうやく)と説くなり」                          (就註法華経口伝 上 一七三四)

 

(意 訳)

「合掌」とは法華経の異名である。「向仏」とは、妙法蓮華経にあいたてまつるということである。

 

合掌は色法(肉体・身心の変化の法)の姿であり、向仏とは信心であり、心法(心や精神の変化の法)である。

色心の二法を妙法蓮華経であると悟る事を、譬喩品の中で、釈尊の弟子である舎利弗が、喜びのあまり踊り出したと説くのである。

歓喜踊躍(歓喜のあまり身体は踊りだし、心はいきいきとしていて、その人の身心の生命が躍動する姿)とは、色法と心法がかけ離れたものではなく一体の姿(色心不二)なのであり、歓喜踊躍と説くのであり、この歓喜こそ法華経の真髄の妙法蓮華経と説くのである。

 

 

 


25日


「問うて云はく、如来滅後二千年に竜樹・天親・天台・伝教の残したまへる所の秘法何物ぞや。 答えて曰わく、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり」

(法華取要抄 七三六)

 

本抄は、文永十一(一二七三)年五月二十四日、大聖人様が御年五十三歳の時、身延において述作され、下総の富木常忍殿に与えられた御書です。

末法に流通されるべき大法は、末法御出現の日蓮大聖人様所立の大法であることが説き明かされています。

中でも、釈尊の滅後、竜樹・天親・天台・伝教が弘めることなく残された秘法として、「本門の本尊と戒壇と題目」という三大秘法の具体的な名目を披瀝されて、ここに初めて末法流通の正体を明らかにされます。

末法こそ正像末弘の妙法が一閻浮提に広言流布すべき時であることを明かされています。

(大白法・平成30年5月1日刊 第980号より一部分転載)

 

 


26日


 

「聖人出現して仏のごとく法華経を談ぜん時、一国もさわぎ、在世にすぎたる大難を(起)こるべしとみえて候」                 (上野殿御返事 一一二二)

 

「聖人」(大聖人)が出現し、釈尊のように法華経を説くことによって、一切衆生が成道することがあってはこまるので、第六天の魔王とその眷属は、共に三界六道に下って、九横の大難にも勝る留難を起こし、「聖人」に迫害を加え、法華経を説くことを妨げるのであると仰せです。 

    (大白法・平成18年3月1日刊第688号より転載)

 

 


27日


「当世、牛馬(ごめ)の如くなる知者どもが日蓮が法門を仮染(かりそめ)にも毀(そし)るは、糞犬(やせいぬ)が師子王をほえ、擬猿(こざる)が帝釈(たいしゃく)を笑うに似たり」                              (善無畏三蔵抄 四四五~四四六)

 

「今の世の牛馬のような智者達が日蓮の法門をかりそめにも毀(そし)る姿は、糞犬(やせいぬ)が師子王を吠え、癡(おろ)かな猿が帝釈を笑うのに似ている」念仏などの邪師が大聖人の法門を謗(そし)ることは、やせ犬が師子王を吠え、癡(おろかな)猿が帝釈天を笑うようなものであると断じられています。

(大白法・平成21年6月1日刊第766号より一部分転載)

 

 


28日


「日蓮は此の関東の御一門の棟梁(とうりょう)なり、日月なり、亀鏡(ききょう)なり、眼目(がんもく)なり。 日蓮捨て去る時七難必ず起こるべしと」

(佐渡御書 五七九)

本抄は、大聖人様が佐渡配流中、文永九(一二七二)年三月二十日、五十一歳の御時にお認したためになられました。

 対告衆は、本抄の端書きに、  「日蓮弟子檀那等御中」 とあり、また、  「佐渡国は紙候はぬ上(中略)此の文ふみを心ざしあらん人々は寄り合ふて御覧じ」 と示されていることから、広く弟子檀那に与えられた御書と拝されます。

 

これは、大聖人様こそが主師親の三徳を具備された本仏たることを示された御文です。その大聖人様に怨あだをなし、敵のように難を加える 者たちを「悪鬼入其身(あっきにゅうごしん)」と仰せられ、未来の堕獄を憐(あわれ)んでおられます。

 


29日


「日蓮法華経の文の如くならば通塞(つうそく)の案内者なり。只一心に信心おわして霊山(りょうぜん)を期(ご)し給へ」

(弥源太殿御返事七二三)

 

本抄は、北条弥源太殿が、自身の当病平癒の御祈念のために、大聖人様に刀を二振り御供養されたことに対して、文永十一(一二七四)年二月二十一日、佐渡配流中の大聖人様が認したためられたものです。

此の御指南の特徴は、大聖人様は弥源太殿に対して、臨終正念の成仏の祈りを随所に勧められて、病気平癒の御祈念を成就していくよう御指南されている点です。

 この意義は、生きることの真実の目的が成仏に存することと、それを目的として信仰に励むとき、所願が成就していく道理を明かされたものと言えましょう。なぜならば、現世において自分の思い通りに願いが叶ったとしても、成仏していない命ならば、決して幸せを享受することはないからです。

(大白法・平成13年5月1日刊 第572号より転載)

 

 


30日


「夫(それ)仏道に入る根本は信をもて本とす」

 (法華題目抄 三五三)

 

仏道に入る根本は信をもって本因とする。

本抄は、文永三(一二六六)年一月六日、 御年四十五歳の御述作です。

文永三年という時期は、鎌倉における弘教の時期ですから、本抄は鎌倉において認したためられたと考えるのが自然ですが、この頃、大聖人様は房州(千葉県)にお帰りになることもあったので、房州においてお認めになられたとも伝えられています。

信じることが仏道の根本であることは言うまでもありません。したがって、唱題においても信じて唱えることが大切なのです。しかし実際には「難信難解」と法華経に説かれているように「信じる」ということほど難しいことはないとも言えるのです。

 では、「信」とはどのようなことなのか、日寛上人の御教示を拝するに、「内典の意は、随順して疑わざる義なり」(日寛上人文段集 六二三頁) と仰せであり、随順して疑わないことをもって「信」とされています。

 

(大白法・平成12年8月1日刊第554号より一部分転載)