12月 


1日

 「正月の一日は日のはじめ、月のはじめ、とし(年)のはじめ、春の始め。 此をもてなす人は月の西より東をさしてみつ(満)がごとく、日の東より西にわたりてあき(明)らかなるがごとく、とく(徳)もまさり人にもあい(愛)せられるなり」

(十字御書 一五五一)

 

「日のはじめ、月の始め、としのはじめ、春の始め」など、一年の一切の初めである正月を大切に迎える人は、その志によって自身の福徳を豊かにすると共に、人からも愛され慕われていく」ことを述べられています。

 

本抄は、「重須殿女房」すなわち、富士郡重須(現在の富士宮市北山)の地頭・石河新兵衛殿の夫人が、年頭に当たり、身延の大聖人様のもとへ、蒸餅(むしもち)や果物を御供養申し上げたことに対する、お礼の御消息です。

 

 


2日

月は山よりいでて山をてらす、わざわいは口より出でて身をやぶる。

さいわいは心よりいでて我をかざる」

(十字御書 一五五一)

 

憎悪や怨みの心をもって話したことや、身で行ったことは、悪業を刻むことになり、やがては自身を苦しめる禍のもととなるのです。反対に人を思う慈悲の心で言ったことや、身で行ったことは善根を刻み、やがては自身に幸いをもたらすのであると示されています。私たちは常に地涌の菩薩の自覚も高く、慈悲に住した言動を心がけていきましょう。

(大白法・平成6年1月1日刊 第400号より一部分転載)

 

 


3日

「一念三千の法門は但(ただ)法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり」

(開目抄 五二六)

 

法華経寿量品の文底に秘沈された南無妙法蓮華経こそ、文底下種・本門事の一念三千の法門であると明かされています。この南無妙法蓮華経とは、久遠元初の本仏所有の法であり、すべての仏が悟りを開くために修行した根本の法なのです。

 

 さらに大聖人は教主の相違について、

 

「仏は熟脱(じゅくだつ)の教主、某(それがし)は下種の法主(ほっす)なり」(本因妙抄1680)

 

と示され、「熟脱の教主」とは久遠実成の釈尊であり、「下種の法主」とは、末法において久遠元初の本法である妙法を下種される日蓮大聖人御自身であると明かされました。

 

 したがって種脱相対により、末法の御本仏日蓮大聖人の南無妙法蓮華経こそ、一切衆生を救済せしめる根源の本法であることが明らかとなるのです。

 

 


4日

「在世の本門と末法の初めは一同に純円なり。 但し彼は脱、此は種なり。 彼は一品二半、此は但題目の五字なり」

(如来滅後五五百歳始観心本尊抄 六五六)

 

この文に「在世の本門」というのは第四の三段文上脱益の本門である。「末法の初」とは即久遠元初であり「久末一同の深旨」よりすれば第五の三段・文底下種の正宗・末法の本門である。よって「初」の字は「本門」と読むべきことに留意せられたい。

「一同に純円」とは、

○在世本門の教主は、久遠実成の仏にして、始成正覚の方便を帯びない

○末法本門の教主は、久遠元初の名字の凡夫にして、色相荘厳の方便を帯びない

このように人に約した場合、在世の教主も末法の教主も、ともに方便を帯びることなく即身成仏の仏身であるから「一同に純円なり」というのです。

 

「彼は脱此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり」とは、在世の本門と末法の本門との体異を示しています。

○彼は脱此れは種なり …… 彼は脱益の仏・此れは下種益の仏(能説の教主)であって脱は劣り種は勝れるとの勝劣の義を含んでいます。

 

○彼は一品二半此れは但題目の五字なり …… 所説の法体はまた一品二半と題目の五字の相違があり、これにまた化導の始終を含んでいます。


5日

「謗法の者に向かっては一向に法華経を説くべし。  毒鼓(どっく)の縁と成さんが為なり。 例せば不軽菩薩の如し」

(教機時国抄 二七〇)

 

本抄は、弘長二(一二六二)年二月十日、大聖人様が四十一歳の御時、配流の地である伊豆で著あらわされました。

 

本抄は、題号が示すとおり「宗教の五鋼」を教示された著作です。「宗教の五綱」とは、宗教を批判選択し、宗旨を決定するための原理・大綱で、教・機・時・国・教法流布の先後の五つをいいます。

 

 本抄では、順次、五綱について説明され、仏教を弘める者は、必ずこの五鋼を知って弘通すべきであると仰せられます。

 さらには、この五綱によって末法弘通の大法が明瞭となることを説かれ、その法こそ法華経であると述べられます。

 

 まず、第一の「教」について、一切の教律論の中には、小乗・大乗・権経・実経・顕教・密教の別があり、これらを弁えるべきことを教示されます。

 

 次に、第二の「機」について述べられます。機を知ることが大切であるとしながらも、機を知るのは智人であって、機を知ることができない凡師は、所化の弟子に一向に法華経を教よと説かれます。つまり、智人ではない末法の衆生は、謗法の者に対して一向に法華経を説くべきであると教えられるのです。

 

 続いて、第三の「時」について述べられます。農民が田植えの時期を誤ってしまうならば、一分の益も得ることはなく、かえって損害を被むります。それと同じように、時を知らずに法を弘めるならば、利益がないだけではなく、かえって悪道に堕ると誡しめられます。そして末法という時が、権経念仏の時であるか、法華経の時であるかを勘がみよと教誡されます。

 

 次いで、第四の「国」について述べられます。国によって様々な国情があるように、仏教の上からも、小乗・大乗・大小兼学の国があり、この日本という国が、小乗の国か大乗の国か、それとも大小兼学の国であるかをよくよく勘みよと仰せられます。

 

 さらに第五の「教法流布の先後」について述べられます。これは先に弘まった法を知り、その後にしかるべき法を弘めよということです。

 すなわち、  「瓦礫を捨てゝ金珠を取る」 の道理から、先に弘まった法を弁え、後に弘める法は、より勝れたものでなければならないと教示されます。

 

 次に、これらの五鋼(五義)を知って仏法を弘めるならば、日本国の国師ともなるとされ、さらに五綱について一歩踏み込んだ教示をあそばされます。すなわち、 法華経は一切経の中の第一の経王であり、これを知る者を教を知る者という。

②日本国の一切衆生は、桓武天皇以来、一向に法華経・純円の機である。

③当世は後五百歳に当たって妙法蓮華経広宣流布の時である。これを知るを時を知るという。

④日本国は一向に大乗の国であり、大乗の中にも法華経の国である。

⑤伝教大師が小乗・権大乗の義を破し、法華経の実義を顕した。

 その後、禅宗や浄土宗の権宗に付き従っている者は、教法流布の先後を知らない者である。  以上のように、法華経こそ末法弘通の大法であると説示されます。

 

 最後に、末法には必ず三類強敵があり、この三類の強敵を現して法華経を弘通する者こそ、末法の法華経の行者であると教示され、本抄を結ばれます。

(大白法・平成17年3月1日刊 第664号より一部分転載)

 

 


6日

「正法は一字一句なれども時機に叶ひねれば必ず得道成るべし。千経万論を習学すれども時機に相違すれば叶ふべからず。」

(佐渡御書 五七九)

本抄は、大聖人様が佐渡配流中、文永九(一二七二)年三月二十日、五十一歳の御時にお認したためになられました。

本抄には、弟子檀那に対する厳しい訓戒が示されています。その内容からは、久遠の本仏・末法の法華経の行者としての熱烈たる気魄を拝することができます。どれも大変重要な内容です。

(大白法・平成11年6月1日刊 第526号より一部分転載)

 

詳細は、こちらを御覧下さい。→ http://monnbutuji.la.coocan.jp/gosyo/kaisetu/51-100/074.html


7日

「日蓮仏法をこヽちみるに道理と証文とにはすぎず。 又道理証文よりも現証にはすぎず」

(三三蔵祈雨事 八七四)

三証とは、日蓮大聖人が宗教の正邪を見極めるために立てられた三つの判定基準のことで、『三三蔵祈雨事』に、

「日蓮仏法をこゝろみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理証文よりも現証にはすぎず」(御書 八七四㌻)

とあるように、理証(道理)・文証(証文)・現証の三つをいいます。

 

 宗教批判の原理

 大聖人が、宗教の正邪・勝劣・高低・浅深を判定する基準として独自に立てられた教判に、「三証」「宗教の五綱」「五重相対」などがあります。このうち「宗教の五綱」と「五重相対」は判定の方法であり、「三証」はその判定の基準・証拠となるものです。これらを「宗教批判の原理」といいます。

 古来、宗教各派は自宗の正当性やその位置づけを証明するために、それぞれの教義・信条に対する判定基準を設けてきました。仏教では、その判定基準を教相判釈(教判)といいます。天台宗の五時八教、浄土宗の顕密二教などがこれに当たります。

 日蓮大聖人は、この宗教批判の原理である教相判釈を用いて、末法における唯一の正法即すなわち法華経本門『寿量品』の文底に秘沈された事の一念三千の南無妙法蓮華経の仏法を立てられました。

 

 理 証

 理証とは、その宗教の教義が理性的批判に耐たえ、道理に適かなっているかどうかを基準として正邪を判定することです。

 宗教によっては、盲目的に信じることを強制し、教義に対する合理的批判を避さけようとするものがありますが、これでは道理に適った正しい宗教とはいえません。

 『四条金吾殿どの御返事』に、

「仏法と申すは道理なり。道理と申すは主に勝物なり」(同 一一七九㌻)

とあるように、正しい宗教とは、普遍妥当性を有した、道理に適った教えでなくてはならないのです。

 

 文 証

 文証とは、文献上の証拠をいいます。その宗教の教えが独断的なものではなく、仏説と合致しているか否か、釈尊の説いた経典を根拠として正邪を判定することです。

 涅槃経に、

「若仏の所説に随したがわざる者有らば、是れ魔の眷属なり」

と説かれ、大聖人も『聖愚問答抄』に、

「経文に明ならんを用ひよ、文証無からんをば捨すてよ」(同 三八九㌻)

と仰せられ、経文に拠ない我見・臆見の邪宗教に惑わされてはならないことを戒められています。

 また『開目抄』には、涅槃経の、

「了義経に依よって不了義経に依らざれ」

という文を引かれて、

「経の中にも了義・不了義経を糾明して信受すべきこそ候らひぬれ」(同 五五八㌻)

とも仰せです。

 この「了義経」とは仏が真実を説いた教え、即ち法華経であり、「不了義経」とは、法華経以外の方便の教えをいいます。ですから、同じく仏の説いた教えといっても、法華経以外の経文によって法門を立てることは邪義であるということです。

 なお、末法の今日においては、大聖人の下種仏法の教義信条を説き示した文献として、御書と御歴代上人の御指南がありますから、これらをもって重要な文証とし、正邪・用否を判定しなければなりません。

 

 現 証

 現証とは、現実の証拠ということで、一宗の教義に基づいて信仰を実践する場合、現実生活の上にその功徳や罰が現れるかどうかによって、善悪・正邪を判定することです。

 大聖人が『観心本尊抄』に、

「現証を以もって之これを信ずべきなり」(同 六四八㌻)

また冒頭に引用した『三三蔵祈雨事』に、

「日蓮仏法をこゝろみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理証文よりも現証にはすぎず」

と仰せのように、三証の中でも特に現証が大切であることが説かれています。

 正法を信仰すれば必ず功徳の現証が現れ、邪法を信仰すれば必ず罰の現証が現れます。

 しかし、一概に現証といっても、低級な邪宗教を信じても一分の通力が現れたり、正法を信じる者にも過去の罪業が軽減されて現れる場合、いわゆる罪障消滅としての現証もあります。

 天台大師の『法華玄義』には、

「修多羅と合する者は、録して之を用う。文無く義無きは信受すべからず」

とあります。

 「修多羅」とは経文のことで、経文に説かれていることと合致するならばそれを用いてもよいが、文証もなく道理にも適っていなければ、たとえ一時的に利益の現証らしきものがあったとしても、それを信受してはならないとしています。

 大聖人の仰せられる現証とは、文証・理証の判定を前提とした現証のことであり、三証のすべてが整足して初めて正邪の判定が完結するのです

 

 むすび

 この三証によって一切の宗教を判定するとき、日蓮大聖人の三大秘法の教えのみが、正しい文証と道理に適った最高の教義を有し、絶大な功徳を実証する正しい仏法であることが理解できるのです。

 

 


8日

「種(しゅ)・熟(じゅく)・脱(だつ)の法門、法華経の肝心なり。三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏に成り給へり。」

(秋元御書 一四四七~一四四八)

 

種・熟・脱の法門より末法の法華経の法体が、釈尊所説の熟脱の法華経と異なり、三世十方の仏の成仏の種子たる文底下種の南無妙法蓮華経であることを明示され、この本法に御供養された功徳の大きいことを、即身成仏の保証をもって示されます。

 

第二には、末法の衆生は妙法蓮華経の五字を受持することによって成仏が叶うということです。

 本抄に、 「種・熟・脱の法門、法華経の肝心なり」 とあるように、下種益・熟益・脱益の三益が法華経の肝要であり、なかでも、 「三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏に成り給へり」 と仰せのように、諸仏は妙法蓮華経の五字を種として仏と成ったことを示されています。

 

 本抄に、 「過去遠々劫より今に仏に成らざりける事は、加様の事に恐れて云ひ出ださゞりける故なり。未来も亦復是くの如くなるべし」 と、衆生が成仏できない理由が、三世にわたって等しく臆病風に吹かれて折伏を怠たる謗法与同の罪にあることを明確に御指摘くださっています。

 

 私たちは、現在折伏・育成に前進していますが、この御命題こそ自身を成仏に導いてくださる尊い御本仏の御慈悲と受け止め、今こそ勇気を出して折伏に精進してまいりましょう。

 

(大白法・平成16年3月1日刊 第640号より一部分転載)


9日

「今末法は南無妙法蓮華経の七字を弘めて利生得益(りしょうとくやく)有るべき時なり。 されば此の題目には余事を交へば僻事(ひがごと)なるべし。 此の妙法の大曼荼羅を身に持(たも)ち心に念じ口に唱え奉るべき時なり」

(御講聞書 一八一八~一八一九)

 

 


10日

「一毫(いちごう)未断の我等末代嬰児の一切衆生、妙法の名字を聞きて持(たも)つ処に即身成仏を遂(と)ぐるなり」

(寿量品文底大事 一七〇七)

 

「微細な障害もなく、我々の未来の赤ん坊たちや全ての生き物が、妙法と呼ばれる教えを聞いてそれを実践する場で、即身成仏を達成することである」

 

「一毫未断」は仏教の用語で、文字通りには「微細な髪の一筋も切れていない」という意味ですが、仏教的な文脈では、全ての縁を切らずに、微細な欠点もなく完全であるという意味合いがあります。この表現は、仏教の理念や修行の過程での究極の境地を表す言葉として使われます。

 

 


11日

今妙法蓮華経と申し候は一部八巻二十八品の功徳を五字の内に収め候。譬(たと)へば如意宝珠(にょいほうじゅ)の玉に万(よろず)の宝を収めたるが如し。一塵(いちじん)に三千を尽くす法門是なり」

(内房女房御返事 一四九〇)

 

「今、妙法蓮華経というのは一部八巻・二十八品の功徳ことごとくを五字の内に収めているのです。例えていえば如意宝珠の玉に万の宝を収めているようなものであり、一微塵の中に三千を具えている法門なのです。」

 

本抄は、弘安三(一二八〇)年八月十四日、大聖人様が五十九歳の御時、駿河国庵原郡内房に住む信徒より、父親の百箇日忌の供養のために御供養と願文が送られ、その返書として認したためられたものです。

 本抄を賜った内房女房殿は、正式には中臣氏という立派な氏姓を持つ家柄です。

 この中臣氏は、古来からの有力な氏族で、藤原氏もここから出ています。そしてこの中臣氏は政権を担うこととなった藤原氏とは道を異にし、本来の神祇祭祀を司さどる神官の家として誇ってきました。

 しかし、内房家は旧来の邪宗を捨てて大聖人様に帰依し、父親をも立派に霊山浄土へと送った様子が、本抄からも伺うことができます。

 

(大白法・平成12年9月1日刊 第556号より一部分転載)


12日

「草にさける花、木の皮を香として仏に奉る人、霊鷲山(りょうじゅせん)に参らざるはなし。 況んや民のほね(骨)をくだける白米、人の血をしぼれるが如くなる古酒(ふるさけ)を仏・法華経にまいらせ給へる女人の成仏得道疑ふべしや」

(妙法尼御返事 一二二六)

 

私たちが御供養申し上げるのは、辟支仏とは比べようもなく尊貴な下種三宝尊様です。私たちはその現在の境界に関係なく、真心からの御供養を奉れば、即身成仏の功徳を頂戴できるのです。

 

(大白法・平成11年11月1日刊 第536号より一部分転載)


13日

三世の諸仏の成道は、子丑(ねうし)の終(お)はり寅(とら)のきざ(刻)みの成道なり。 仏法の住処は鬼門の方に三国ともにたつなり」

(上野殿御返事 一三六一)

 

本抄は、弘安二(一二七九)年四月二十日、大聖人様が五十八歳の御時、駿河国富士郡上野郷(現在の静岡県富士宮市・総本山周辺)の地頭・南条七郎次郎時光殿に与えられた御消息です。

 

三世諸仏の成道は丑寅の時刻にあること、さらに仏法の住処は鬼門の方角にあるべきことなどを述べて本抄を結ばれますが、追伸として、基本的な信心の持ち方を教示されています。

 

「三世の諸仏の成道は、子丑(ねうし)の終わり、寅の時刻の成道である。仏法の住処は・王城の鬼門(東北)の方に、インド・中国・日本の三国ともに立つのである。」

 

三世の諸仏

 過去・現在・未来の三世に出現する諸の仏。

 

ねうし(子丑)

 子の刻は午前零時ごろ、丑の刻は午前二時ごろで、子丑の刻とは午前一時ごろをさす。

とら()のきざみ()

 現在の午前四時ごろをいう。古来、丑寅の時刻は一日のうちで夜(死)から昼(生)に向かう中間の意味をもつとされる。日寛上人の開目抄愚記には「丑寅の時とは陰(おん)の終り、陽(よう)の始め、即ちこれ陰陽の中間(ちゅうげん)なり。またこれ死の終り生の始め、即ちこれ生死の中間なり」(文段集一九二㌻)と述べられている。

 

私たちも、折伏に歩く中では、御法門を心に入れようとしない輩から誹謗・中傷されることがあります。しかし、そこで大切なことは、感情的になってその相手を憎むのではなく、邪教に深く毒されたこの人を何とか救いたいという慈悲の念を持つと共に、それが自分の宿業を浄化し、また信心の上に一歩成長させていただける尊い修行なのだという確信を持つことです。

 私たちもこの大聖人様の御精神を拝して、柔和忍辱の衣を着てさらに折伏に精 進してまいろうではありませんか。

 

(大白法・平成14年3月1日刊 第592号より一部分転載)


14日

「主人悦(よろこ)んで曰わく、鳩化(はとけ)して鷹(たか)と為り、雀変(すずめへん)じて蛤(はまぐ)と為る。悦ばしいかな、汝蘭室(らんしつ)の友に交はりて麻敏(まほ)の性(しょう)と成る」

(立正安国論 二四八)

 

「主人は悦んで言った。

故事に鳩が化して鷹となり、雀が変じて蛤となる、とある。

悦ばしいことに、あなたもまた正法を受持する私のもとへ来て、曲がった草が麻畑の中でまっすぐ伸びるように、捨邪帰正を決意した」

 

 本書は、文応元(一二六〇)年七月十六日、日蓮大聖人様が三十九歳の御時に、宿屋光則を通して、鎌倉幕府の最高権力者であった五代執権の北条時頼(最明寺入道)に対して奏呈された国主諌暁の書であり、主人と客の十問九答からなる問答形式によって構成されています。

 

災難の起こる根本原因が邪宗邪義にあると喝破され、これらの邪教を捨てて、正法に帰依すべきことを身命を賭として強く訴えられたのが本書なのです。

私たちの周りを見るとき、自己中心的な風潮が蔓延し、人命軽視や刹那的欲望による犯罪が横行し、不況による生活環境の悪化は深刻になっていています。

 

「今日の不幸の根源は謗法にあることを知らしめ、謗法を責め、謗法を破折し、その謗法から救っていくことが大事であり、これが我々の自行化他にわたる信心であります」(大白法 六九一号)

 

 

 

 

 


15日

「法門の事はさど(佐渡)の国へながされ候ひし己(は)前の法門は、たゞ仏の爾前の経とをぼしめせ」

(三沢抄 一二〇四)

 

この御文は大変有名な御文ですが、これは、大聖人様が佐渡に配流される前と後においては、御化導の内容に大きな相違があることを述べられているのです。すなわち、佐渡以前の法門は、釈尊五十年の説法で言うならば、四十二年間に説いた爾前経のようなものであり、真実の教えを説くためのいわば準備として説かれた法門です。そして佐渡に配流されてからの法門が真実の法門であることを仰せになられているのです。これは、竜の口における発迹顕本の深義による御指南であることは申すまでもありません。

 

(大白法・平成7年2月1日刊 第425号より一部分転載)


16日

「末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異り、自行化他に亘(わた)りて南無妙法蓮華経なり。名体宗用経の五重玄の五字なり」

(三大秘法稟承事 一五九四~一五九五)

 

末法の大聖人様が唱えられる題目は、正像時代の理行・自行の題目と異なり、自行化他にわたる事行の南無妙法蓮華経であること。さらに、本門の戒壇とは、王仏冥合という現実における広宣流布という時をもって建立すべき事の戒法であることが説かれます。

そして、この三大秘法は、地涌千界の上首・上行菩薩として、大聖人様御自身が確かに教主大覚世尊から口決した相承であり、大聖人様の所行は、この相承にいささかの相違もない、色形までも替わらぬ『寿量品』の事の三大事であると仰せです。

 さらに、一念三千の正しき証拠として、一には法華経『方便品』の「諸法実相」等の文を挙げ、二には『寿量品』の「然我実成仏已来無量無辺」の文を挙げられるとともに、今、大聖人様が末法の時を感じて、この大法を広宣流布することを仰せです。

 最後に、この法門は己心に秘してきたものであるが、門家の遺弟のために顕あらわされた旨を明かされ、  「法華経を諸仏出世の一大事」 と説かれるのは、この三大秘法を含蔵する経であることによると申し添えられて、本抄を結ばれています。

 

(大白法・平成15年7月1日刊 第624号より一部分転載)


17日

「南無妙法蓮華経と申すは一代の肝心たるのみならず、法華経の心なり、体なり、所詮なり」

(曾谷入道殿御返事 一一八七)

 

題目の五字・七字は、法華経の心であり所詮の法体を示したものであり、この心は、仏滅後のいかなる聖人や人師、論師も宣説するところではなく、ただ末法の御本仏日蓮大聖人様が所持される法体であることを説かれてます。

そして、もしも大聖人様を卑(いやしん)で妙法の題目を唱えないとするならば、あたかも病人が医師を疑って薬を服用しない愚行と断ぜねばならないと強く示されています。

 

(大白法・平成20年11月1日刊 第752号より一部分を転載)


18日

「生死の大海を渡らんことは、妙法蓮華経の船にあらずんばかなふべからず」

(椎地四郎殿御書 一五五五)

 

「生死の苦しみの世界である娑婆世界を「大海」にたとえ、それを渡り切ることができるのは妙法蓮華経の船だけである。 他の権経、外典・外道の小船では渡ることができない」

 

法華経の法門を一文一句でも、人に語るのは過去の宿縁が深いと思うべきです。

法華経方便品に「亦(また)正法を聞かず、是(かく)の如き人は度し難し」とあります。この文の意味は、正法とは法華経であり、法華経を聞かない人は済度し難い、という文です。

法華経法師品には「若し是の善男子、善女人、(我が滅度の後、能()く竊(ひそ)かに一人の為にも、法華経の、乃至一句を説かん。当(まさ)に知るべし)是の人は則(すなわ)ち如来の使なり」と説かれており、僧も俗も尼も女も一句をも人に語る人は如来の使いである。という事です。いま、私たちはすでに俗であり、この善男子の人なのです。

 

 この経(法華経)を一文一句でも聴聞して心に染める人は、生死の大海を渡ることのできる船のようなものなのです。

 

 

生死の大海を渡るのは妙法蓮華経の船でなくては叶わないのです。


19日

「此の南無妙法蓮華経に余事をまじ(交)へばゆヽしきひが(僻)事なり」

(上野殿御返事 一二一九)

 

「末法流通の法体たる下種の南無妙法蓮華経には、決して他の教えを交えてはならない」

 

いつの時代にも「法門しりたりげに候人人」がいて、この正法を慢心から破っていく姿があることは、嘆かわしい限りです。特に最近、立正佼成会と手を結んだ、破門謗法教団の創価学会などは、大聖人様の清浄な御法門に泥を塗り、更には三大秘法・血脈相承という文底下種仏法の根幹の教義を否定して、創価学会流の題目に改変しています。これなど本抄の 「此の南無妙法蓮華経に余事を交へば、ゆゝしき僻事なり」  との仰せにまさに符合するものです。末法流通の法体たる下種の南無妙法蓮華経には、決して他の教えを交えてはならないとの、大聖人様の厳戒に背いていることはもちろんのこと、それを遙かに凌ぐ、正法破壊の大謗法行為と言わなければなりません。

 私たちは臨終正念の信心に学び、末法唯一の正法である妙法を、大聖人様の教えられるままに、正しく純粋に信じ、行じていきましょう。

(大白法・平成6年4月1日刊 第406号より一部分転載)

 

 


20日

「法華経に値ひ奉りて南無妙法蓮華経と唱え奉る時、煩悩則菩提・生死即涅槃と体達する処は、豈多有田宅(あにたうでんたく)の長者に非ずや」

(御講聞書 一八三二)

 

「多有田宅の事」とは、法華経『譬喩品第三』(開結143)に説かれる「三車火宅の譬え」に出てくる長者(仏様)が多くの田宅を所有していることです。

要するに、田とは身、宅とは命。田宅は身命即ち南無妙法蓮華経のことです。

 

この御本尊様にめぐり会うこと(御授戒)ができ、お題目を唱える人は、煩悩即菩提・生死則涅槃の功徳を得ることができることは、あたかも長者が沢山の田宅を持っているようなものである、ということです。

 

このお題目を保ち奉る者(御本尊様を信じ持ちお題目を唱える人)は、多有田宅の長者であり、大聖人様がこの長者の本主(仏様)であり、大聖人の弟子・旦那は、大聖人と同じく如説修行の行者(折伏する人)であるということです。

(石黒御住職のご指導より)

 

【ご参考】

 「三車火宅の譬え」に説かれる譬え話です。法華経には7つの譬えが説かれていて、法華七譬とも法華七喩とも言いますが、これはその第1番目の譬えです。

 

 昔、ある国に1人の大長者がいました。たくさんの財産を持っていて、たくさんの召使いを抱えていました。

 お屋敷はとても広かったのですが、出入り口は、狭くて小さな門が1つあるだけでした。中には500人の人々と、長者の子供たち30人が住んでいました。

 ある時、長者が出かけて留守にしていた日のこと。火事が起きて、炎は瞬く間に屋敷に広がってしまいました。

 子供たちはまだ幼くて、夢中で選んでいたので、火事に気がつきません。帰ってきた長者が、「早く外へ逃げなさい。炎で焼け死んでしまうぞ」と声をかけましたが、聞こえないのか、子供たちは、まだ遊んでいます。

 長者は、子供たち全員を無事に外に出して助けるために「お前たちの好きな羊の引く車、鹿の引く車、牛の引く車が門の外にある。早く外に出てくれば、あげるよ」と告げたのです。

 これを聞いて、今度は子供たちが一斉に、外へ走り出てきました。こうして子供たちは安全な所へ避難でき、長者は安心して喜んだのです。

 門から出た子供たちは、父に向かって早く3つの車が欲しいと願いました。

 そこで長者は、3つの車より、もっとずっと立派で、形もよく、能力も優れた大白牛が引く大きな車を、子供たちに平等に与えました、というお話です。

 

 この譬え話の中の、長者は仏様のことです。火事になった屋敷は、煩悩などが原因となって起こる苦しみの世界(地獄界・餓鬼界・畜生界)の譬えです。子供たちは一切衆生のことで、声聞乗、縁覚乗、菩薩乗の三乗の教えを羊車・鹿車・牛車の三車に、一乗真実の教えを大白牛車に譬えています。

 

 日蓮大聖人様は、『大白牛車御消息』という御書に、

「抑法華経の大白牛車と申すは、我も人も法華経の行者の乗るべき車にて候なり。(中略)我より後に来たり給はん人々は、此の車にめされて霊山へ御出で有るべく候。日蓮も同じ車に乗りて御迎ひにまかり向かふべく候」(御書1582㌻)

と、大聖人様の教えを信じ修行に励む人を、臨終の際に大白牛車で迎えにきてくだきると仰せです。

(石黒御住職から頂きましたお話しです)

 

 


21日

「法華経を行ずる日蓮が弟子・檀那等の住所は、如何なる山野なりとも霊鷲山なり」

(御講聞書 一八二三)

 

「日蓮が法華経を実践する者たち、すなわち弟子や檀那等信徒たちの住む場所(居る場所)は、どの山や野であろうとも、そこは霊鷲山(仏国土)である。

 

霊鷲山

古代インドのマガダ国の首都である王舎城の郊外にある山。日蓮大聖人様の御在世当時の日本では、王舎城の東北にあると認識されていました。

現在のビハール州のほぼ中央に位置する。サンスクリットのグリドゥラクータの訳。

法華経の説法が行われたとされる場所です。

 

法華経如来寿量品第16の自我偈の教説に基づいて、久遠の釈尊が常住する仏国土を意味し、霊山浄土[りょうぜんじょうど]と呼ばれます。

 

霊山ともいう。『大智度論』巻3によると、山頂が鷲[わし]の形に似ていること、または山頂に鷲が多くいるため名づけられたといいます。


22日

「天下万民諸乗一仏乗と成りて妙法独りはむ(繁)昌三せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱へ奉らば、吹く風枝をならさず、雨土くれをくだ(破)かず、代はぎのう(義農)の世となりて、今生には不詳の災難を払ひて長生の術を得、人法共に不老不死の理(ことわり)顕はれん時を各々御らんぜよ、現世安穏の証文疑ひ有るべからざる者なり」

(如説修行抄 六七一

本抄は、文永十(一二七三)年五月、大聖人様が五十二歳のときに佐渡一谷いちのさわにおいて認したためられた御消息です。

 大聖人様が数々の難に遭あわれていく中、佐渡に配流されたことにより、ますます動揺し退転していく者が後を絶ちませんでした。そのような状況において、門下一同に対し、不退転の信心を促がされるために与えられた御消息が本抄です。

 

 (大白法・平成11年2月1日刊 第518号より一部分転載)


23日

「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則(すなわ)ち三界は皆仏国なり  仏国其れ衰へんや」

(立正安国論 二五〇)

 

本書は、文応元(一二六〇)年七月十六日、日蓮大聖人様が三十九歳の御時に、宿屋光則を通して、鎌倉幕府の最高権力者であった五代執権の北条時頼(最明寺入道)に対して奏呈された国主諌暁の書であり、主人と客の十問九答からなる問答形式によって構成されています。御真蹟は千葉県・中山法華経寺(日蓮宗)に現存し、第二祖日興上人の写本が大石寺及び静岡県三島市・妙法華寺(日蓮宗)に蔵されています。

 

 本書が著わされた由縁は、『安国論奥書』によると、

正嘉元(一二五七)年八月二十三日、戌亥の刻(午後九時頃)に起こった大地震を発端としています。この地震は鎌倉幕府の事跡を記した史書『吾妻鏡』によると、鎌倉中の神社や仏閣がことごとく倒壊し、山は崩れ、家屋が倒壊し、大地は裂さけて水が涌き出るほどの大きな地震であったことが記されています。

 さらに、大聖人様が法鑑房に宛あてた『安国論御勘由来』(同 三六七㌻)によれば、正嘉二年八月には大風、同三年(改元して正元元年)には大飢饉、大疫病、翌正元二年には四季を通じて大疫病が広く伝染し、民衆の大半が死に至ったと記されています。

 

 大聖人様は、打ち続く天変地夭・飢饉・疫病などの三災七難の起こる原因を明らかにし、民衆を救い国家を安穏にならしめるために、正嘉二年の二月より駿河国(静岡県)岩本実相寺の経蔵に入り一切経を閲覧し、文応元(一二六〇)年七月に至る足かけ三年を費やして、経典の明文に照らし合わせ、災難の起こる根本原因が邪宗邪義にあると喝破され、これらの邪教を捨てて、正法に帰依すべきことを身命を賭として強く訴えられたのが本書なのです。

 (大白法・平成21年7月1日刊 第768号より一部分転載)

詳しくは、こちらをクリックして御覧下さい → http://monnbutuji.la.coocan.jp/gosyo/kaisetu/151-200/160.html 


24日

「日蓮によりて日本国の有無はあるべし。譬(たと)えば宅(いえ)に柱なければもたず。人に魂なければ死人なり。日蓮は日本の人の魂なり」

(種々御振舞御書  一〇六五)

 

「日蓮によって日本国の存亡は決まるのです。譬へば、家に柱がなければ家として保つことができず、人に魂がなければ死人となるようなものです。

 

日蓮は日本の人々の魂なのです。」


25日

「日蓮によりて日本国の有無はあるべし。譬(たと)えば宅(いえ)に柱なければもたず。人に魂なければ死人なり。日蓮は日本の人の魂なり」

(種々御振舞御書  一〇六五)

 

「日蓮によって日本国の存亡は決まるのです。譬へば、家に柱がなければ家として保つことができず、人に魂がなければ死人となるようなものです。

 

日蓮は日本の人々の魂なのです。」


26日

「所詮仏法を修行せんには人の言を用ふべからず  只(ただ)仰いで仏の金言をまぼ(守)るべきなり」

(如説修行抄 六七一)

 

信心において御本尊様を受持し仏道修行を志す人は、自分流の我見による信心を誡め、仏である釈尊や日蓮大聖人様の御金言には素直に随い修行することが大切です。

 日蓮大聖人様は『如説修行抄』に、

「所詮仏法を修行せんには人の言を用ふべからず、只仰いで仏の金言をまぼ(守)るべきなり。」(御書671㌻)

 

と仰せです。仏道修行する人は、信心において仏様(日蓮大聖人様)の御金言に依らない人の言葉や他宗教の教えを修行に用いてはいけません。仏様の御金言を守ることで正しい仏道修行ができ真実の成仏があります。


27日

「鳥と虫とは鳴けどもなみだ(涙)をちず、日蓮はな(泣)かねども涙ひまなし。 このなみだ世間の事に非ず、但偏(ひとえ)に法華経の故なり。 若ししからば甘露の涙とも云ひつべし」

(諸法実相抄  六六七)

 

本抄は、文永十年(一二七二年)五月十七日、大聖人様が五十二歳の御時、佐渡の一谷いちのさわにおいて認したためられた御書です。

(通解)

「鳥と虫とは泣いても涙を落とすことない。日蓮は泣かないが涙がとどめなく落ちてくるのだ。しかしこの涙は世間の涙ではない。ただひとえに法華経のゆえの涙である。もしそうであるならば甘露の涙とも言えるのである」

 

 


28日

「よき師とよき檀那とよき法と、此の三つ寄り合ひて祈りを成就し、国土の大難を払ふべき者なり」

(法華初心成仏抄 一三一四)

 

本抄は、大聖人様が弘安元(一二七八)年、五十七歳の御時に身延においてお認したためになられ、駿河国岡宮(静岡県沼津市)に住む妙法尼に与えられた書です。

 

末法の現在における「よき師」とは、御本仏日蓮大聖人様に在(ましま)し、また唯我与我の僧宝たる日興上人をはじめとする血脈付法の御歴代上人であり「よき檀那」とは、大聖人様の正法正義を血脈付法の御法主上人猊下の御指南のもとに正しく受持し外護する信徒であり「よき法」とは、三大秘法の南無妙法蓮華経であって、この三つが寄り合うことによって広宣流布の願いも叶(かな)い、国土の大難をも払うことができるのです。私たちは、このことをまず心得なければなりません。

 

(大白法・平成11年4月1日刊 第522号より一部分転載)


29日

「仏法と申すは道理なり。 道理と申すは主に勝つ物なり」

(四条金吾殿御返事 一一七九)

「仏法というのは道理をもととするものである。道理というものは主君のもつ権力にも必ず勝つのである」

 

道理とは、人間としての道理、人間の正しい生き方ということです。仏法は、この人間としての道理を教え、また、その道理を裏づける生命の哲理を究めたものなのです。  したがって、人間としての道理をはずれた考え方は仏法にかなっているとはいえないことを知らなければなりません」


30日

「此の御本尊も只(ただ)信心の二字におさまれり。 以心得入(いしんとくにゅう)とは是なり。 日蓮が弟子檀那等「正直捨方便」「不受余経一偈」(ふじゅよきょういちげ)と無二に信ずる故によって、此の御本尊の宝塔の中へ入るべきなり。たのもしたのもし。

(日女御前御返事 一三八八)

 

「正直捨方便」とは、釈尊が四十余年に説いた華厳(けごん)・阿含(あごん)・方等(ほうどう)・般若(はんにゃ)の経々は方便の権経(ごんきょう)として捨て、正直の教えである法華経を説くとの意です。「不受余経一偈」とは、真実の教えを説く法華経のみを信じ、それ以外の爾前(にぜん)権経の一偈一句たりとも信じ持つことはいけないという意です。

 共に法華経迹門にて説示されたものですが、大聖人様は立宗を宣言せられて以来、立正安国のために四箇(しか)の格言等にて諸宗を破折し続けられました。これは法華経以外の経々を廃するという権実相対(ごんじつそうたい)の立場より「正直捨方便」「不受余経一偈」の経文を用いたものです。

 また、この経文を種脱(しゅだつ)相対の立場より拝すれば、法華経の予証通りに御出現された御本仏大聖人様の南無妙法蓮華経こそ、末法(まっぽう)弘通の法華経であり、その御魂魄(こんぱく)を御本尊として顕現なされたということです。

 今、日蓮正宗だけが、この御教えを正しく厳護し弘通しています。したがって、他のいかなる宗派・教団も「方便」「余経」として信仰してはいけないのです。

 

(大白法・平成17年9月1日刊 第676号より一部分転載)


31日

 

「大悪は大善の来たるべき瑞相なり。 一閻浮堤(いちえんぶだい)うちみだすならば、閻浮堤内広令流布(こうりゅうるふ)はよも疑ひ候はじ」

(滅刧御書 九二六)

 

 大悪起これば大善来たる

 近年、我が国では、親が子に手をかけ、子が親を傷つけるなど、目を覆うばかりの凶悪犯罪が多発しています。さらに金儲け主義による道徳心の欠如、弱肉強食的な偏った価値観の蔓延によって、日本特有のよき国民性が破壊されることを危ぶむ声が後を絶ちません。

 翻ひるがえって、私たちの周囲を見渡せは、謗法の神社仏閣や教会等が相も変わらず乱立し、創価学会は大聖人様の仏法の命脈である本門戒壇の大御本尊様と唯授一人の血脈を破壊しています。

 しかし、大聖人様は本抄に、

「大悪は大善の来たるべき瑞相なり。一閻浮提うちみだすならば、閻浮提内広令流布はよも疑ひ候はじ」

と仰せです。むしろこうした混乱した時こそ、私たちが真剣に自行化他に励むならば、必ずや諸問題の一切を解決し、御本仏大聖人様の妙法の確かな功徳・実証を世界中の人々に示していくことができるのです。

(大白法・平成18年9月1日刊 第700号より一部分転載)